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内藤泰宏准教授

内藤泰宏准教授
内藤泰宏准教授

─現在の研究テーマについて教えてください。

 僕の研究の関心としては、大きく二つあります。まずは、SFCに来る前から進化に関心がありました。もう一つはE-Cell Projectのさらなる展開に向け、プロジェクトメンバーの一人として推進していきたい、と思っています。

 進化に関してはずっと興味がありましたが、特に大学院の途中から東大の医科学研究所で微生物の分子遺伝学を研究していた ときの恩師に影響を受けました。 僕がいた当時、所属していた研究室は微生物、特に大腸菌の相同組換えが専門でしたが、恩師は「研究(仕事)は組換え、趣味は進化」だと常々おっしゃってい ました。 当時の生命科学界はゲノム科学が現在のように盛んになる直前の時期で、分子レベルの進化の科学も助走期間でした。 その頃、有志の学生と先生でジョン・メイナード=スミスが書いた教科書を輪読する勉強会を行う機会がありました。 この輪読会への参加が、科学として進化が今どう扱われているのかをちゃんと知る機会になり、進化は科学の対象として非常に面白いと思いましたし、現在の興 味のベースになっています。
 生命の進化について私たちは、現在の地球上で進行しているたった一例しか知りません。科学では、再現性のある事実を真であるとしますが、 進化の歴史に関して再現性を検証することは難しいと思います。幸い、いま地球上にはものすごい数の生命が存在しているので、 それらの生命たちを比較することで再現性を確保するという手段をとることができます。ですが、この手段だけでは「生命の起源はなにか」、 「真核生物はどう成立したのか」などの素朴な疑問に答えることは難しいと思います。 なぜなら、これらの疑問の答えとなる事象は、大昔に一度だけ起こった限りで、化石もほとんど確からしいものが残っていない状態だからです。 そのため、これらの問題は生物学の根本的な問いであるにも関わらず、そもそも自然科学の問いになっているかすら確かとはいえません。

 進化に限らず、世の中で起こっている現象には偶然と必然が複雑に入り交じっています。物理科学を規範とする自然科学の ゴールは、必然として起こるものごとの原理を明らかにし、 数学で対象を記述することです。数学は、人類がこれまでにつくりだした「言語」の中で、最も厳密な表現ができるものです。 この方針に則った科学はすでに学びきれないほどの知識体系をつくりあげていますが、こうした科学では説明できない(科学の対象外)とされている出来事もた くさんあります。 蔵本由紀さん(京都大学名誉教授)が著書の中で述べている喩え話に以下のようなものがあります。「物理学はガラスをハンマーで叩いた時に、どの程度の力で 叩けば割れるかは物理学を用いて精密に予測できる。 しかし、割れたガラスの破片がどのような形になるかは、最先端の物理学を使ってもまともに予測することはできない、計測不能な微細な初期条件によって、結 果が大きく変わってしまうからだ。」 物理学者は、偶然と必然をよりわけ、偶然に関してはよほど重要でない限り棚上げすることで、必然の結果を精密に予測するという手段をとることで成功を収め てきました。 しかし、生物の進化を物理科学と同じ手法だけで解明し尽くすことは難しいと思います。なぜなら、現在の生態系の多くの部分が偶然の結果だからです。 例えば数億年かけて、もう一度地球上の進化をやり直した場合、現在と同じような生態系になっているかと問われれば、そうではないと僕は思います。 これが何故かと問われたら、それはもう偶然だからだとかしか言いようがありません。確かに、必然として動いている進化のメカニズムがあるのは間違いありま せんが、 偶然の要素も非常に多いと思いますし、偶然の結果として、現在の人間や他の生き物がいると思います。 生態系が現在のかたちでなければ、どうありえたのかという、歴史のifと同じようなことを、生物についても考えたい。これが僕の根本的な問題意識です。

楽しいことに本気で取り組めることが、何よりのモチベーション。

─E-Cellに関してはどういう経緯なのでしょうか?

 僕がSFCに来たときは、ちょうどE-Cellのバージョン1をリリースしようとしている最終段階で、冨田さんから、 E-Cellプロジェクトに入ってみないかと誘われました。 コンピュータ・シミュレーションにはもともと興味がありましたが、実際に取り組んでみて、面白さにだんだんととらわれていきました。僕の学生時代は世の中 ではちょうどゲノム科学が誕生し、 これから生命科学がどう展開していくのか、とても不確定に感じていました。 僕自身は遺伝子一つ一つに寄り添っていく研究をしていたのですが、このようなコツコツ研究した積み上げだけから、 生き物はどうなっているのかを包括的に理解することは難しいのではないかとも思っていました。「木を見て森を見ず」とはよく言いますが、分子生物学におい て森を見るためにはどんなことができるだろうかと、 学生の頃からぼんやりと考えていました。 そのような時期に、恐らく1995年の分子生物学会の若手向けワークショップで、堀田凱樹さん(情報・システム研究機構初代機構長)の「分子生物学者は、 多くの場合ある分子の専門家である。 ある細菌に遺伝子が4000個あるなら、その細菌の遺伝子全てをカバーするには4000人の分子生物学者が必要になる。相互作用も考慮すれば、4000の 2乗以上の分子生物学者が必要になる。 これでは人類全体が生物学者になったとしても、たった1種の細菌を理解することもできない。理解のためには、現在の分子生物学だけでは不足しているのは明 らかなので、もっと新しい考え方でなにかをつくっていかなければならない」といった話を聞きました。 ウェットの生命科学で得られた知見を統合し、生命システムを総体として理解する上で、細胞シミュレーションはかなりのポテンシャルを持っていると思いま す。 また、僕は医者でもあり、わずかな経験ですが、患者さんの死を看取ってきました。だからかもしれませんが、僕は「生きている」とは何かに興味があります。 僕は、生きることは時間とともに変化することだと思っていて、動きがあることが生命現象の本質のひとつだと思っています。細胞シミュレーションは、そのよ うな生命の動きを捉えられる部分が、面白いと思っています。
 SFCという風変わりな組織で、このシミュレーションのように、自分が楽しいと思えることに本気で取り組めることが今一番のモチベーションになっています。

内藤泰宏准教授

─研究人生で転機になったことはありますか?

 実は、僕が関心を持っている進化の歴史という対象が生命科学の枠組みの中に留まるのか結論を出せず、趣味に留めておいたほうが良いのではないかと思っていました。
 ですが、SFCでテニュア(終身職)を得るための人事面接で、これからやりたい生命科学について話したとき、面接に加わっていたある先生が「君はさっき から"科学、科学"とずいぶん科学にこだわっているが、科学にならなくても、学問になることはあるだろう」と仰ったんです。 恐らくその先生はその言葉をお忘れだろうと思います。ですが、当時の僕は科学にこだわっている自覚はなかったために、内心かなりうろたえました。自分の物 事に対する考え方の中で一つの方法が科学であると、科学を相対視できているつもりでいました。しかし、その先生には、そうは映らなかったのです。そこで、 もう少し自分のやりたいことについて考えてみようと思いました。 また、幸いテニュアになったことで、生活の基盤を確保でき、もっと自分の関心に従い自由な研究をやってもいいのではないかと感じたのです。

 僕自身は、社会的な名声や評価を得たくて学者を志したわけではありません。むしろ、学者になれば社会の喧騒を離れて、人知れず考え事に没頭できる のではと妄想していました。 その結果として人様の役に立ち、褒められることがあればもちろん嬉しいでしょうし、自慢もするでしょうが、それが生きる目的になることはありません。 僕にとっては、自分の持てる知力を総動員して、ぎりぎり解けるかもしれない問題に一生懸命チャレンジし続けることが快感なのです。問題が解けなかったとし ても、その過程で今まで思いつかなかったことを考えついたとき、 喜びを感じます。また、考え続けたことでもしも良い結果がついてくればより嬉しいですね。試行錯誤を優先するということは、生産性をあまり優先しないとい うことだと思います。 なので、SFCの准教授に採用してくださった先生方から見ると、そんなつもりで採用したわけではなかったと思われるかもしれません。ですが、せっかく学者 という職業を勝ち取ったのですから、目先のアウトプットを気にせず、心底楽しめる自分だけのパズルに夢中になれることは素晴らしいと思っています。その結 果、どういった評価を受けたとしても、もちろん受け入れる覚悟です。 素直に、子供の頃から憧れていた学者を目指そう、ということです。それができるSFCという環境は心底すばらしいと思います。

生態系が今のかたちになった理由を知りたい。

─研究以外で大事にしているものはありますか?

 ありきたりかもしれないですが、家族です。研究よりも家族のほうを大切にしてるかもしれません。

 僕には子どもが二人いて、一人は知的障害がある自閉症児です。もしもその子が障害を持って生まれていなければ、今ほど家 族を大事にしていなかったかもしれないとも思います。その子には、ひとりで生きていく能力はありませんから、僕は自分が死ぬまでに、彼が彼自身の人生を楽 しく全うできる環境を調えたいと考えています。僕には、親として彼が幸せに生きるための見通しをつける責任があると思っていますし、 僕自身が幸せに生き、死んでいくためにも、この責務を果たすことは欠かせません。また、下の子も、兄に障害があるからというだけで後回しにされるような理 不尽な思いをさせることは極力避けたいと考えています。一般に、障害者の家族は"健康マイノリティ"といわれ、心身の健康を損ないがちだとされています。 そこで、妻と一緒に考えて、家族みんなが心身ともに健やかでいられるように協力しています。上の子が幼稚園に通った約3年間、毎日のお弁当はほぼ僕がつく りました。今も家族の朝食を毎朝つくっています。こうした家事も、大学の仕事も、暮らしの一部ということでは一緒です。人生の目的は"幸福"の一言に尽き ます。自分に与えられた選択肢の中で、最も幸せに生きられそうな道を考えぬき、淡々と選び続けていくだけです。その結果、家事もすれば研究もする日々を送 り、幸せに生きている。満ち足りています。

─最後に将来成し遂げたい展望を一言お願いします。

 まだしっかりとした道筋は見えていませんが、ごく一部でも良いので、生態系がどのような歴史をたどって現在の状態に到達 したのかを詳細に解明したいです。僕は自然選択によって生き物が変化し、選択された結果、 今の姿になったと信じています。ですが、どのような選択圧が生物に働いていたのかは分かっていません。近年のゲノム科学技術の進歩により、進化系統樹が正 確かつ大規模に書けるようになりました、これが大きな前進であることは疑いありませんが、 分子系統樹が示すのは、基本的に進化を生き抜いた現生種間の関係であって、歴史ではありません。祖先型から原生種の遺伝子やゲノムに至るまでどのようなせ めぎ合いがあり、そして今の状態になったかはほとんど分かりません。 僕は、いま生きている種が、過去に生き残れなかった生物を差し置き、いかにして地球上に生き残ることができたのかを、たとえ断片的にでも、個別具体的に知 りたいのです。この問題は歴史科学に近い性質を持っていますが、できるかぎり自然科学を武器に挑戦したいと思っています。 ただ、自然科学を逸脱しないと先に進めないという状況になったとしても、取り組むことをやめようとは思いませんし、一部でも生態系の歴史を明らかにできれ ば嬉しいです。
 あとは、いずれリタイアしたあともずっと、真核生物はどうやってできたか、生命の起源はなにか、などといった、大きなパズルを解き続けたいです。既に仮 説はいくつか存在するけれども、どの仮説が正しいか分からない問題です。 その結果として、現在の科学者たちから支持を得ている解答から脱することはできないかもしれませんが、考えることは好きなのでこれからもやっていくだろう なと思います。 特に、僕にとって関心がある "どうしてなのか?他に選択肢はなかったのか?"という"Why"の問題に対して、何より僕自身が面白いと感じ、楽しめる仮説や答えにいくつかでも辿りつ けたらなと思っています。

─ありがとうございました。

(2014年8月26日 インタビューア:川本夏鈴 写真:板谷英駿)

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