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クマムシが住むコケの中のミクロな世界を覗きみる

メタバーコーディングで真核生物と細菌のコミュニティを網羅的に解析

Arakawa K. Simultaneous Metabarcoding of Eukaryotes and Prokaryotes to Elucidate the Community Structures within Tardigrade Microhabitats. Diversity, 2020; 12(3):110. doi:10.3390/d12030110.

水が沸騰するほどの高温や絶対零度までの低温、真空から数万気圧の圧力、さらにはヒトの致死量の数千倍もの放射線にも耐えることができる「地上最強」の生物クマムシは、意外にも私たちの身近な場所に暮らしている。誰でも身の回りの道端の乾いたコケに彼女らを見つけることができるが、クマムシは体長数百ミクロンと小さいため、顕微鏡でないと容易には観察できない。クマムシがいそうなコケを採取してきて、水に浸して顕微鏡で覗くと、コケにはクマムシだけでなく、ワムシやセンチュウ、ダニやトビムシなど、さまざまなミクロの生命がはびこっているさまが露わになる。しかし、ミクロの世界では、顕微鏡では簡単には見えない細菌やカビ、単細胞真核生物なども多数生息している。普段わたしたちは環境中の微生物を気にすることはないが、クマムシにとっての微生物は私たちにとってのビー玉ほどの大きさがあり、無視できない。しかも、クマムシの中にはこれら微生物を食べているものもいるかもしれない。では、どのようにすればコケの中のミクロな生態系を全て覗きみることができるだろうか。

そこで慶應義塾大学先端生命科学研究所の荒川和晴准教授は、メタバーコーディングによってこのミクロな生態系を観測することを試みた。生物の中には、非常によく保存されながらも、種ごとに少しずつ違いがあり、まるでバーコードのようにその部分を読み取れば生物種を同定可能な遺伝子配列が存在する。これをDNAバーコードと呼び、真核生物全般では18S rRNA、動物ではCOI、細菌では16S rRNAなどが一般的に用いられる。荒川准教授は、コケを丸ごとすりつぶして中に含まれる生物のDNAを全て抽出後、真核生物用に18S rRNAを、細菌用に16S rRNAをバーコードとしてPCR増幅し、これらを丸ごと超並列DNAシークエンサーで解析することで、どのような生き物がどれくらいいるのか、を網羅的に明らかにすることを考えた。この時、邪魔になるのがコケ自体のDNAである。コケを丸ごとすりつぶしているので、そのままでは得られるバーコードがほとんど全てコケとコケのミトコンドリア由来になってしまう。そこで、荒川准教授は、ペプチド核酸を用いるトリックを用意した。ペプチド核酸は、DNAと類似した構造を持ちDNAに結合できるものの、ペプチド結合によって繋がれているため、PCR反応では増幅されない。増幅されないばかりか、そのDNA結合力によって、類似のDNA配列のPCR増幅を抑えることができる。よって、コケの18S rRNAとミトコンドリア16S rRNAに対応するペプチド核酸を用いることで、コケ以外のバーコードだけを増幅することが可能になるのである。

このメタバーコーディングのアプローチによって、荒川准教授は鶴岡市内市街地と、羽黒山麓の杉林からそれぞれ48個のコケを解析した。その結果、市街地の乾いたコケからは多くのクマムシが見つかったのに対し、湿潤な林の中のコケからはクマムシがほとんどみつからなかった。また、見つかったクマムシは顕微鏡観察で発見されたクマムシと種類や量が概ね一致しており、顕微鏡を用いないメタバーコーディングの手法でも正確かつ網羅的にコケの中の生態系を観察しうることが確認された。市街地の乾いたコケは生物の多様性が低く、クマムシ以外の真核生物に乏しく、クマムシ同様乾燥耐性を持つことが知られているシアノバクテリアが多く存在していた。一方、林のコケはカビなどの真菌が多く、多様な細菌が生息していた。このことは、クマムシは少なくともこの二箇所では乾いた環境を好み、常時乾くことの多い環境にあるコケに住む生物は、クマムシ以外も乾燥耐性を持つことを示唆している。

今回はまずはメタバーコーディングの手法がミクロな生態系の観察に使えると示せたことが一番の成果であったが、同時に網羅的な解析によって、いくつかの生物間の相互関係 - ある生物がいるときには他のある生物もいる、あるいはその逆の排他関係 - も示すことができた。「メタバーコーディングというあらたな『メガネ』を手に入れたことで、これまで直接『見えない』ことで研究が進んで来なかったミクロの生態系を研究できるようになりました。自然界でのクマムシたちの日常を今後より深く観察していきたいと思います」と荒川准教授は展望を語った。
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図:a. コケの採取地。鶴岡市内と羽黒山麓の杉林でそれぞれ48個のコケを採取した。b. 市街地のコケからは、ショウナイチョウメイムシ、オニクマムシ、ヤマクマムシ、ヨロイトゲクマムシ、ニホントゲクマムシの5種が顕微鏡観察で見つかった。

[編集: 安在麻貴子]

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