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板谷光泰教授

板谷光泰教授
板谷光泰教授

─現在の研究について教えてください。

 僕のグループでやっているのは、大きなDNAをどう扱うか、という方法論の開拓に尽きる。具体的にやっていることは大きく3つあって、僕、柘植君、大谷君のそれぞれがテーマを持っている。その中で一番大きな、ゲノムを扱っているのが僕。

 昔だったら遺伝子を扱えたら一人前だった。でもゲノムシーケンスが数百種わかっている今は、ゲノムを全部丸ごと扱う時代だと僕自身は思っている。けれど、(それを実現するのは)テクニカルにはなかなか難しい。それをブレイクするために今までずっと鍛えてきた。そして、一匹 の微生物のゲノムなら丸ごと、細かな遺伝子どうのこうのは関係なく、DNAとして扱える技術は完成した。

─どのような技術なのでしょうか?

 具体的に言うと、第一弾としてシアノバクテリア(ラン藻のゲノム)を完全クローニングしました。僕たちにしかできないので、世界で他に例はなく、誰も追随できない。第二弾、第三弾、そして第四弾も考えていて、とりあえず第二弾として高度好熱菌のゲノムに挑戦しようとしています。ベクターには枯草菌ゲノムを使っている。

 目的は、クローニングをするための技術開発が主なのだけれど、最終的にはゲノムをデザインしたい。世の中に存在しない、 Man-madeゲノム、シンセティックゲノム、リコンビナントゲノム、いろいろ呼び方はあるけれど、これを自分で作って、それが一回でも分裂するところを見てみたい。それは、生命の一番小さい単位であるひとつのバクテリアゲノム、これを対象にすることによってできるだろう、と思っています。それが僕のテーマ。

─なぜクローニングに枯草菌を使っているのでしょうか?

 理由は後付けなのだけれど、結果として、枯草菌でしかできない。普通は大腸菌プラスミドのベクターにつないでクローニン グするのだけれど、意外と知られていないことにプラスミドでクローニングできる長さには限界があって、一番調子の良いプラスミドを使っても 400~500kbしかクローニングできない。普通の遺伝子をクローニングする手法では、500kbくらいの壁にぶつかる。ご存知の通り、ゲノムは一番小さいものでもマイコプラズマの580kbで、だいたい1000~2000kbが小さいものに属する。だから、従来のプラスミドを用いた方法ではクローニン グできない。

 枯草菌を使ったのは偶然。枯草菌を仕事で使っていて、枯草菌を使ったクローニング法を思いついた。クローニングするためにはベクターが必要だけれど、『ゲノムそのものをベクターにしよう』と。それで、ブレイクを達成した。できちゃったから強気で言えるんだけどね(笑)。

─この方法を使えばどのようなゲノムでもクローニングできるのですか?

 第一例のシアノバクテリアゲノムは3,600kbあるから、この大きさまではクローニングできる。大方のバクテリアゲノムは2,000kb程度なので、たいていのバクテリアはクローニングできる、と自信を深めている。原理的には、問題なくどんなバクテリアでもクローニング できるはず。バクテリアによってGC含量が高いなど、固有の問題もあるだろうけれど、手間ひま惜しまなければ、何でもできると思っています。ただ一点、 IABは医療機関ではないので、病原菌だけは扱わない。

 もうひとつ付け加えておくと、クローニングするのは目的ではなくて、途中経過です。2つのゲノムがひとつの袋(細胞)に入っているという状態がある。枯草菌に、シアノバクテリアゲノムが入っている。あるいは将来的には、枯草菌のゲノムに高度好熱菌のゲノムがひとつの袋に 入っているという状態になる。2つの遺伝子のシステムを、少なくとも情報的には全部持っているはずなので、それを枯草菌の培地に入れるか、シアノバクテリアの培地に入れるか、高度好熱菌の培地に入れるか。どちらの培地でも生えていいはず。直感的にはね。実際にはいろいろ苦労があり、まだ成功していません。 結構難しい。

 基本的には枯草菌がベクターなので、枯草菌の培地でずっと培養していて、最後の段階で「それっ!」ともう一方の培地に移して生えるか生えないかをみたけれど、今のところネガティブ。完璧なネガティブではなくて、条件をいろいろ振らないといけないのだけれど。

 枯草菌というバクテリアの培地でぬくぬくと生きていたところに突然、シアノバクテリアの情報も全部持っているはずだからといって「やれ!」といわれるようなもので、100匹が100匹、言うことを聞くとは限らない。感触としてはね、100匹、あるいは1000匹の中で1匹くらいがなにかの間違いで違う培地で生えてきてもいいんじゃないかな、と、個人的にはそういう感触を得ている。もう少し時間はかかりますが、それがやりたい。

 で、これが何を目的にしているかと、違う培養条件、違うニッチで、ひとつの袋の中に入っている情報を使い分けて両方の ニッチで生育できるバクテリア、「シャトルゲノム」と呼んでいるのだけれど、違う培地を行ったり来たりするようなもの。それができれば、将来的には、こういう培地で生きるバクテリアが欲しいのだけれど、とデザインをする。そのあたりまで、自分が生きている間に、手がかり、足がかりくらいはつかめればな、と 思っている。

─2つのゲノムを合わせると、培養している間にいらない遺伝子が抜け落ちていくという現象はないのですか?

 放っておいたり、ちょっと油断したりすると、(遺伝子が欠落することは)あります。もともと枯草菌なので、今は枯草菌の培地でしか飼えないのだけれど、何も考えないで飼っていると、せっかく入れたシアノバクテリアの部分がどんどん落っこちていく。

─自分じゃない部分を認識しているのですか?

 そんなに頭のいいものではなくて、ゲノムが欠損するとか、組換えるとかはしょっちゅう起こっているんですよ。それらが ちゃんと生えてくれば見えるけれども、生えてこないと見えない。一般的に言って、余計なものを抱え込んでいると増殖速度は遅いです。余計なものが落ち、脱落すると、そいつらが突然速く生えてくるので、そいつらだけが見えてくる。それが実際起こっているんです。よく欠損したのがでてくるけれど、欠損してないのもあるポピュレーション(集団)でいるから、これを維持するためにいろいろノウハウがある。温度下げるとか、培地を非常にpoorにしてあげるとか。

─将来的には、普通に培養していても安定したゲノムが作れたらかなり良い生物だと?

 その通りですね。デザインって簡単に言っちゃうけれど、よく考えてみると非常に膨大な仕事。まずはシーケンスから書かないといけない。僕はこれをシーケンスライターと呼んでいる。それを書いてくれれば、その配列をもとにゲノムを作る人がシーケンスビルダー。シーケンスライターはまだいない。例えば遺伝子をひとつ作ってください、3つの遺伝子をちゃんと発現するように作ってください、っていうのも結構難しいんですよ。僕自身はパソコンの前でぱちぱち作業するのは苦手なので、ビルダーに徹する。ライターが(DNAを合成するお金を持って)きてくれれば、僕はライターに従って、 増やしたDNAや合成したDNAを設計図通りに大きくビルドすることはできる。そういうふうに訴えているんですけれど、なかなかレスポンスはない。

─非常に面白いですね。

 夢です。

─これまでの研究活動についてお聞かせください。

 これは言い方を間違えるととんでもないことになりそうですが・・・(笑) Molecular Biology(MB: 分子生物学)というのが僕に非常にフィットしていた。考え方と、進め方と、テクニカルなレベルも含めて。MBを始めたのは、アメリカのNIHにポスドクにいった時。プレドクの時は全然違うことをやっていて、それはそれで面白かったんだけどね。

─プレドクの時は何をなさっていたのですか?

板谷光泰教授

 化学反応速度論。いわゆるChemical reaction kineticsですね。Enzyme kineticsで、kcatとかKmとか、E-Cellのシミュレーションでよく使うようなあれは僕の非常にfamiliarなところで、ミカエリスメンテンとか、ラインウィーバーバークとか、あんなことをやっていました。昔は理論的なところをやっていたんだけど、いつの間にか理論は完全にすっぽかしてた(笑)。

 アメリカには3年間いたのですけれど、その時にMBを本当にゼロから学んだ。分子遺伝学、主にバクテリア遺伝学なのですけれど、周りに遺伝学の考え方のエキスパートが沢山いたので。MBはテクニック第一な考え方があるので、そのバックに遺伝学がある。でも遺伝学ってい わば論理学なので、それがあってはじめて分子生物学が生きてくると学んだ。アメリカのNIHでの仕事とその周辺のことが、その後の僕を決めた。

 その時のリソースは大腸菌と酵母でした。それがとっぱじめで、そこで分子生物学から離れられなくって、生命研(三菱化学生命科学研究所)に今から20数年前に・・・あんまし詳しく言うと年がわかるけど(笑)、たまたまポストがあって、そこで枯草菌に出会った。

 1980~90年頃の分子生物学っていうのは、技術面では、DNAをクローニングして増やすことが中心的だった。その頃からちょうどゲノムをシーケンスしようという動きが出てきて、ゲノムの構造を知れるようになった。それまではもやもやしていたのだけれど、要するにゲ ノムを扱うための背景が少しずつ蓄積されてきた。一番大きかったのが、ゲノムのフィジカルマップ(物理地図)が、(遺伝マップじゃなくて、)作れるようになった。シーケンシングの効率も頑張れば10年かけてバクテリアゲノムがシーケンスできるんじゃないの、と。Almost impossibleだけど、不可能ではない。そういう意味ではゲノムのことに方向が向いてきた。ちょうどそのころに枯草菌を始めて。僕は初めはゲノムのことをやるつもりはなかったけれど、枯草菌が非常に面白かったので、よし、枯草菌ゲノムの物理地図を作ってやろうと思って。完成したのが、1990年。実質一人でやって、4年かかった。

それで、ゲノムに恋されちゃった。

 枯草菌のゲノムって非常にきれいなんですね。きれいって言うのは、余計なファージが少ないとか、繰り返し配列がないとか、右と左が対象だとか。いろんなファクターがあって、その後、比較解析をやったとしても、きれいなんですよ。だから僕は最初に美人と会ったのかなぁって。冗談っぽく言えるんだけれ ど、そういう意味では今でもまだ付き合ってもらっていて。でもこれはすっごい重要なんだよ。

─美人ゲノムですか。

 ゲノムがきれい、リピートがない、左右対称ってことはゲノムが安定だってことなんです、別の言葉で言えば。あんまし変化しない。ということは、これはベクターとして使えるんですよ。それが一番重要なこと。それで、フィジカルマップ(物理地図)をきめた後、始めたのが1993~4年かな、枯草菌ゲノムを使って、他のゲノムをクローニングしましょう、ということで少しずつシフトしていって。

僕の頭の中から、個別の遺伝子の名前はだんだん消えていってしまった。遺伝子の名前も覚えられなくなって、細かな遺伝子はもういいよ、と。このゲノムを全部入れちゃえば、それが別のバクテリアに化けるんじゃないか。

 ともかく、大きなDNAを扱う方法論がほとんどなかった時代に、大きなDNAを全部入れる、個々の配列はどうでもいい と、そちらの方に特化していった。シアノバクテリアのゲノムを丸ごとクローニングをしたというのも、実は足掛け8年くらいかかったんですね。その8年の間に僕の頭からはどんどん個別の遺伝子の名前が消えていって、楽させてもらった。但し、遺伝子のプロフェッショナルがいっぱいいる学会で発表する時には辛い思いをするけどね。

─始めて枯草菌に触れた時は何をされたんですか?

 一番始めは、枯草菌からある遺伝子群をクローニングしようとした。1986年のころです。どういう遺伝子群かというと、 相同組換えに関係する遺伝子が沢山あると当時考えていて、それをひっぱりだそう、と。いくつかのスクリーニング方法で、枯草菌ゲノムのライブラリーを大腸菌のプラスミドで作って、2~30個くらい候補の断片を拾ってきたんですよ。当時は自分でシーケンシングしないといけない。そういう時代だったので、20 個全部やることはできないけれど、面白そうなものからやったら20本くらい論文になるかな、そしたら10年くらい生きていけるかなって(笑)。最初はそのレベルだったんです。

 そうこうしているうちに、1997年に枯草菌のゲノム全塩基配列は決まって、なにも僕がシーケンシングしなくてもできるよね、ってことになった。ところが、今もまだクローンは持っているけれど、到底それをやる時間がなくなってしまった。ファンクションで拾ってきたものだから、何かはしているはずなのだけれど、なかなか。その間に遺伝子の名前もどんどん忘れていって。いつかチャンスがあればやりたいと思っている。でも、それをやるためには知識をアップデートしないといけない。知識をアップデートするためには膨大な論文を読まなきゃいけないので、暇になってから。

 もっとも、若い時にやったことってすごく覚えていて、身に染みてるんだろうな。ちょっと刺激があるとぽっと出てくる。

─印象に残っている人や、出来事はありますか?

 生命研の初代所長さんで江上先生という方がいた。僕が入った時にはもう亡くなってたから直接会ったことはないんだけど。 その江上先生は『江上語録』というものを残していて、生命研の研究員はそれをみんな知っていて、それを座右の銘にしていた。その中でも僕が一番好きなのは、おおざっぱにいうと、「最初から面白い研究ってのはない。面白い研究があるとすれば、それは誰かが面白くしたのである。だからもし、面白い研究をやりたいならば、自分がやっていることを面白くしなさい」。拡大解釈すると、好きにやれと。僕はそう解釈した(笑)。人のやっていることには手を出さない。生命研に行った時にそれにいたく感激してね。授業の最後にはいつも言う。

自分だけのことをごそごそ背中を向けてやっていると、誰も見に来ないから忙しくない。

 これって、その前の経験が元になっている。アメリカに行って最初にやった仕事が非常に面白かったので、そこからいろいろ自分で調べていって、こことここをこう繋げたら面白そうだと思ってやっていたら、その内容の論文が別のグループ3カ所くらいからぼんぼんぼんっと出されて、、、人の仕事を追いかけるのがいかにみじめかと思い知った。そういう出来事があって、生命研に来て江上語録に出会って。

 だから、他の人が面白くしたことはもうやらない。目の前の枯草菌から組換え遺伝子を全部まとめてとるんだと。そういう雰囲気があったから。NIHでの苦い経験が生命研で江上語録と結びついて、授業の義務もないし、24時間365日好きに使えたので。だんだん書類仕事なんかも増えてきたけれど、最初の15年くらいは、いつも生命研にいて、研究していた。お弁当3つくらいもって。それは言いすぎかな(笑)。

─面白い論文にかかれていることって、もう3段階くらい先にすすんでいるものですものね。

 次の次のデータまで持っているから、論文にできるんだよね。2歩先、3歩先の結果が読めないようなデータは論文にできない。通らないしね。

─日々の生活で大切にしていることは?

 手を動かすことが好きなので、まぁ昔からだけれど、実験が大好きだった。自分で5つくらいのテーマを同時にやっている時がずいぶんあって、全部違うテーマね。朝来て、培養器あけて、前日仕込んだいっぱい積んであるプレートを見て、生えてる?生えてない?ってのを確認して、 その日の仕事が決まる、という。生えてるからこれを今日はやらなくちゃいけない、生えなかったから今日はこれはやらなくていい、というのが決まって。5つくらいやっていると、だいたい2つくらいあたっているんだよね。ひとつしかやってないと外れるよね。外れてるとがっかりしちゃってその日は何もできなく なっちゃうけれど、2つくらい当たっているとそれを集中してやって、毎日コンスタントに仕事ができる。それが身にしみ込んじゃいました。なので、そういう意味では、どこかの偉い先生が言ってたように、「現場から離れるな」、と。表現は多少違うかもしれないけれど。それが当時の僕の生活にぴったりしてるな、 と思って。

現場が教えてくれる。

 少なくとも、僕みたいなフィールド系ではない実験科学というのは、ラボの中が自分の仕事の全てなので、現場にいないと話がはじまらない。本当に忙しい最初の10年くらいは冠婚葬祭以外ずっとラボにいた。外に行くのも学会で出張に行く時だけで、土日も含めずっとラボにいた。そのおかげで、本当にやりたいことを好き勝手にやっていた。そのうちのいくつかが今でも生き残っていて、つながっていることもあるし、お蔵入りしかかっているものもあるし。

 そこから2つくらい、学生さんや、若い人たちにはよく言っていることがある。ひとつは、ノートをちゃんととりましょう、 と。あとから見返したくなるようなノートのとり方をしましょう。実験ノートの取り方は自分で工夫して。だれもそんなことは教えてくれないけれど。最近は HOW TO 本なんかもあるか。それで、困った時は自分のノートを見なさい。そこに必ず宝物がある、と。今、説明できることはそれでいい。でもあとでね、何年後か、 10何年後かに、あぁ、それってあのことだったのか、って思うことがある。そのためには実験ノートをきちんと取ると。

 もうひとつは、現場に物理的にいるってことだけじゃなくて、精神的にもいつも仕事のことを考えていること。寝転がっている時でも考えている。端から見ると、「下手な考え休むに似たり」、なんてこともある。もちろん下手な考えしていることもいっぱいあるのだけれども。現場から離れたところでリラックスしようと思っても、リラックスできないんだよね。

─気になっちゃって。

 そうそう。だから息抜きにどこどこにいったとか、どこかに出かけてリフレッシュしたとか言うけれど、向こうに行ってアイディアを思いついてきたりとかして、すぐメモを取ってくる。だから筆記用具はいつでも持参してる。 リラックスって、本当はリラックスしたいんだけど、貧乏性なのかな、できないんだろうなって気がしています。いつも考えています。「趣味は何ですか?」と聞かれ、「映画を見ることです、映画は1時間半で終わるから」って答えた教授がいる。(その気持ちは)僕にもわかりそうだなって思った(笑)。

 学生さんによくする話をもうひとつ。アメリカにいた時に聞いた話だけれど、ある教授が金曜日の夜にながーーいセミナーをやるんだって。学生もスタッフも疲れきって、それがやっと終わった時に教授が、『Have a nice weekend! And, see you tomorrow.』って言うんだって。

─・・・!

 そういう人も世の中にはいるんだなぁ。僕も若い頃にはすごいんだなぁ、こんなことできないなぁって思っていたけれど、今ならわかるね。まぁ、わかると言うことに留めておきましょう。

─では、最後に今後の展望、夢を。

 仕事の面では、今は自分で1から10まで全部できないから、いろんな人と組んで、ゲノムライターがいて、そのゲノムをビルドして、それが顕微鏡の下で、2つに分裂してくれたと。それを見るのが僕の夢ですね。ちょっと小さいけどね。これは、自分で見たい夢。

 もうひとつは、10年くらい前から少しずつ考え始めていたことなんだけれど、ある意味僕の仕事って技術開発の面がすごく 大きい。その方が説明しやすいと言うのもあるのだけれど、でもそれが自分だけの技術というわけではなくて、できれば他の人にも幅広く使ってほしいと思う。 でも、現実は菌の名前一つとっても、枯草菌と大腸菌の間の壁と溝が非常に高くて深い。例えば大きなゲノムがクローニングできるよ、と言う時に、枯草菌でと言った瞬間に、あぁ、むずかしそうだな、ってことになっちゃう。大規模ゲノムクローニングキットとプロトコールを作って、なるべく沢山の人やグループに、 メガクローニングの技術を広げたい。売り出すつもりはなくて、これとこれとこれを混ぜればうまくいきますよ、ということを広めれば、その研究を面白くした、そういうことになるんじゃないかな、と思っています。それも僕の夢です。

─今後の展開が楽しみです。本日はどうもありがとうございました。

(2007年11月7日 インタビューア:小川雪乃  写真:増田豪)

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