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金井昭夫教授

金井昭夫教授
金井昭夫教授

─現在はどのような研究テーマに取り組まれているのでしょうか。

 分子生物学を中核におきながら機能性RNAの研究や、これに伴う分子進化学、発生生物学の分野で仕事をしています。 RNA研究、RNAグループとよく呼ばれるけれど、RNAにこだわってはいません。でも、RNAがタンパク質になったり、RNAのまま働いたり、ということがずっと気になっていて、例えば、糖そのものやリン脂質のことなどは(これも重要なんでしょうが)ほとんど研究対象にしたことはありません。材料が変わっても、遺伝子がどのように発現して、どのように情報が伝わってくるのか、ということを一貫してやっています。つまり、セントラルドグマに興味があるから、セントラルドグマグループと呼んでもいいのかもしれないですね。

─どういったアプローチをされているのでしょうか。

 今はコンピュータを使う優秀な学生がグループに沢山いるので、それを問題提起の要のようにしています。その問題を分子生物側が受けて、証明するような形にもっていきます。もちろん、この逆もあります。それから、比較ゲノム学が非常に重要になってきていて、ゲノムの塩基配列を比べて進化のことを考える学生もいます。僕はバックグラウンドが生化学・分子生物学だから昔はそれだけでものを考えてきたけど、生命情報科学が非常に面白いので、今はこれらを融合して新しい研究領域を拓いていけると思っています。このアプローチで、進化とか、分化とか、発生とかの生理現象を解析していきたいなと考えています。

「ストーリー」を大切にしている。

─研究のポリシーはなんですか。

 小さくてもオリジナルなことが重要だと思います。それを言い出して、発展させていきたい。オリジナルなこととはいって も、新しい遺伝子を見つけたというようなことではなくて、できれば、概念的に新しいことを言い出して、それを追求していきたい。なんでそのようになるのか、ということが大切と思っています。

 例えば、ペニシリンはたまたま見つかった、とか、失敗からはじまった、という話がよくある。でもそうではなく、仮説を立てて、「こうとしか考えられない!」というような突き詰め方をして、当てる。その方が格好いいと考えているし、そういうことをやりたいと思います。

 だから、もし結果的にだめだったとしても、ストーリーが格好よければ立派なことで、だめだったけどいいなって思う。なにか発見してノーベル賞をとれればいいというものではなくて。過程とか、どういう風に生きたか。その時代で「そこか!」っていうところがやりたい。もっとも、なかなかそれに邁進するような余裕も生まれにくいのも事実ですが。

─強く影響を受けた人や、出来事はありますか。

 オリジナリティが重要だということで強く影響を受けたのは、東京大学大学院薬学系研究科時代の名取俊二先生(現

  名誉教授)です。 今、ハエというとショウジョウバエがメジャーだけど、名取先生はセンチニクバエで生化学的、分子生物学的な研究をなさって、幾つもの新しい概念を提唱され ました。また、世界で初めて基本的な転写因子というのを精製されています。それが1970年代だから驚きます。概念的なものを物質的に検証していくやりかたが、すばらしいと思っています。

 僕は、その時代、その時代でやり遂げた人の良さというものを、後ろから見ていることができた。これはとても幸運なことでしたね。だから僕も学生に背中を見せて、それを見てついてこい、っていう部分があると思います。猫背だっていわれますけどね (笑)。

 自分は研究しないで、学生を指導するというのではなくて、学生と一緒にやっていきたいと思っています。できれば、生半可なことはしたくないです。人まねをしない。だからどこかの研究と同じだったら基本的にはやめます。

─日々の研究を進めていく上で、大切にしていることは何ですか。

金井昭夫教授

 あえていえば、音楽や絵画などが好きだから、それで感性を鈍らせないようにしています。エレキギターやベースがマンションにあるし、ドラムのパッドみたいなものも持っています。打ち込み用の機材もありますよ。全部コンピュータに入れてミックスするということを修士くらいまではやっていたのだけれど、今またもう一度やりたいなって思っています。サイエンスじゃなかったら、アレンジとかリミックスとかをやれたらと考えたこともあります。音を変えるようなソフトウェアとかハードウェアとかも好きですよ。デジタルディレイとかね。

 実験データも図表が多いですが、今でも泳動写真などを見るときにはドキドキしたりします。いいデータだと、どうだー!って自分にいいきかせることもあります。実験のデータは毎回のように図にします。そういうのがなくなってしまったら、この仕事は楽しくできないでしょうね。

─一番最初に手がけた研究は何ですか。

 僕は早稲田大学を卒業してから、東京大学大学院の薬学系研究科に進んだのですが、早稲田のときは、1年生のときから研究室に通っていました。

 これはこっちが勝手にいくわけです。そうすると何かやらせてくれて、僕の場合は、理工学部の生物物理の研究室で、メカノケミカルエンジンといって、コラーゲンの収縮を利用してエンジンを作るということをやっていました。それは研究というより遊びみたいなものだったけれど。 これが最初かな?

 学部4年の時から研究室に配属されて、ウニの核内タンパク質の化学修飾が発生時にどう変動してくるかを調べました。具体 的には、クロマチンのタンパク質(ヒストンなど)にADPリボシレーションを起こさせる酵素の活性をはかっていました。現在、この研究領域は遺伝子発現分野のトレンドみたいになっていますが、当時は現象の周りを回っているだけで、本質に近づけないようなもどかしさがありましたね。なんとかクローン化した遺伝子を扱いたいと思っていたのですが、在学していた1985年当時、遺伝子クローニングは全ての研究室でできたわけではなかったので、この技術を習得するためにも、東大の名取先生のところに移りました。

─海外に行かれたきっかけは?

 僕は、名取先生のことをすごいと思っていたので、言われたことはなんでも「はい」って云っていました。博士課程の3年目に、日本のある研究所から手紙が来て、『金井が欲しい』って声がかかったから、じゃあそこ行きましょうか、ということになって、セミナーをしてきました。 それで、そこに行くのかなと思っていたら、その一週間後くらいに、『金井、留学の話があるけど行くか?』とおっしゃるので、「はい」って。そんなふうだったから本当に先生も心配したみたいで、1時間後にまた研究室にいらして、『金井、本当に行くのか?』ていうから、「はい」っていって、そのまま米国国立衛生研究所(米NIH)に留学が決まりました。NIHはすごい人がたくさんいて楽しかったですね。

─今の研究の原点はどこにあるのでしょうか。

 東京都の臨床医学総合研究所でC型肝炎のプロジェクトがはじまるということで、これに参加するように請われ1992年に 帰国しました。これがRNAウイルスで、RNA研究との直接的な出会いですね。このウイルスの複製などを考えているうちに、ウイルスのゲノムだけでなく、 いろいろな生物種でRNAのことをやったら、と思うようになりました。でも、東京都の仕事は、他のウイルスで報告されてきたことをこのウイルスでも確かめる、というスタンスだったので、パーマネントのポジションであったけど、これを辞して、1996年から科学技術振興事業団のERATOのプロジェクト(5年間)に参加しました。情報解析と実験生物学を融合してゲノムレベルのことがやれるということでしたので。ここでも、プロジェクトの研究が第一だったので すが、慶應に来てから行った研究のコアの部分を考えておくことができました。

じっくり10年くらいかけて、変なことをきちんとやりたい。

─これからも実験は続けていかれるのですよね。

 実験はやっぱり、現場にいて、その最初のとりがかりから全体を見ることで、研究の喜びにつながる一番の具体的な方法ですからね。まだアイデアはいっぱいあって、試していないこともたくさんあります。でも最近はお金がかかるようになってきてしまって、ややもすると明日の論文 のための実験になってしまう危険性がいっぱいですね。

 古き良き時代とは言わないけれど、かつてとは違って、分かりやすいものや応用が明確なものしか予算がつかない傾向にあります。どれだけ重要だと力説しても、わけわからないような古細菌のRNAだと、なかなか予算が取りにくいですね。でもそれは、ある意味自分の宿命みたいな ものだと思っていて。流行るものをやって、というのではなくて、やったことを流行らせていけたらと思います(汗)。

─それでは最後に、将来の展望をお聞かせください。

 今後は、どう独立して、研究費をとって、自分の形でやっていくか、というところが問われていると思います。今は、スタッフが少なく、学生実習の合間に研究を補佐していただいている状況ですから。

 大学の教官としては、将来はどこかで自分の研究室を持って、教育と研究に邁進したい。プロジェクトが終わったら解散、という形じゃなくて、自分のスタンスを固めて。じっくり10年くらいかけて、変なことをきちんとやれたらと考えています。

 一方、世界ではまだまだ無名に近いですから、世界で主張できるような、ある程度のクオリティの論文を出し続けたいです。日本からのオリジナルな研究を知ってもらえたらと考えています。

─ありがとうございました。

(2007年11月9日 インタビューア:小川雪乃  写真:増田豪)

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