慶應義塾大学先端生命科学研究所慶應義塾大学先端生命科学研究所

論文/ハイライト

HOME 論文/ハイライト 研究ハイライト 研究者インタビュー マルタンロベール講師

マルタンロベール講師

マルタンロベール講師
マルタンロベール講師

─ 現在の研究について教えてください。

 私は、細胞がシステムとしてどのように働いているのかを理解するために、分子機能やそれらの制御関係を観察する三つの研究プロジェクトに取り組んでいます。このために、シンプルな微生物である大腸菌をモデル生物としています。

 一つ目のプロジェクトでは、細胞中の機能未知な部分の役割を明らかにすることを目指しています。ゲノム情報が入手可能となった現在、私たちは既に大腸菌の細胞に備わっている全機能のリストを手に入れたと思われることがありますが、これはゲノム配列中に直接コードされている核酸やアミノ酸の配列や、その産物であるタンパク質に限ってのことで、アミノ酸や脂質、糖などの代謝物と言われる細胞の構成要素はゲノム中にコードされていません。さらに、未だに大腸菌の約半分の遺伝子は詳細な機能が解明されておらず、その多くは細胞内で代謝物を扱う酵素であると予測されています。約半数のタンパク質の機能が分からない状態で細胞全体を理解することにはさすがに無理がありますので、私たちはまずこの知識の穴を埋めるために、主に二つの方法で取り組んでいます。一つ目の方法では、ゲノム配列から酵素の候補を選択し、発現・精製することで、それらがどのような分子を合成・分解する能力があるのかを調べています。もう一つの方法では、逆に遺伝子が未知で反応が既知の場合に、大腸菌内に存在していることが知られている生化学反応を担う酵素を探索しています。配列情報やコンピューターによるアノテーションはこういった場合おおまかに酵素の候補を絞りこむために有益ですが、その際にその酵素の標的分子が分かることもあれば、そうではないこともあります。従来法では、特定の基質と生成物のペアを用いて予測された触媒反応を確認することしかできませんでしたので標的分子が分からなければお手上げでしたが、私たちは標的とする反応の化学的な前提知識の有無に関わらずに機能同定が可能なスクリーニングシステムを設計しました。この手法では、精製された酵素を数百もの代謝物の混合物である「代謝物のスープ」にいれた後、混合物の組成を網羅的にメタボローム解析することによってタンパク質により引き起こされた変化を観察します。酵素触媒反応があれば、結果として一つまたはそれ以上の代謝物が減少し、同時に新規の代謝物の増加が期待されます。この二つがリンクした時、精製された酵素によって触媒される基質と生成物を一気に解明することができます。最近は世界中で得ら れている大量のデータのおかげで、未知タンパク質の機能に見当をつけやすくなりました。このような場合、私たちは候補の基質と生成物のみを標的として、より直接的に予測を確かめることを試みています。この方法はシンプルで時間がかからないため、より多くのパズルを一度に解くことができるようになるでしょ う。

 二つ目の研究プロジェクトでは、このようなスクリーニング法を使うことによって、これまでに大腸菌中に存在すると思われていなかった新規の代謝反応を見つけたいと思っています。このような新規の代謝反応の中には有用なもの - もちろん細胞にとっては生存の為に重要な反応ですが - 特定の分子の工業生産や、新しい薬剤やバイオ燃料の製造に役立つような反応があるかもしれません。極めて発見指向のアプローチですが、何かしらの発見をしたいところです。

 同様に、これまでの研究では副産物として情報学的なプロジェクトも生まれました。私たちのスクリーニング手法では、新規の活性を発見するために細胞内の全分子の中から変化のある分子に注目して観察する必要がありますが、このような比較メタボロミクス解析はなかなか困難です。私がIABで働き始めた時には大規模かつ複雑なデータを解析するための有用なツールは殆どありませんでした(これは当時の大問題でした!)。しかし、 それを解決するアイデアがいくつかあったため、私は情報学系の同僚と手法の開発に取りかかり、今ではメタボロミクスデータを探索する際や、複雑な分子プロファイル中の微量な変化の発見、またそれらに関わる分子の同定などに利用できる手法を確立しました。これらの手法は私たちのプロジェクトやIABのその他のメタボロミクスプロジェクトのみならず、既に世界中で広く利用されています。自分たちの問題を解決するための解決策が、最終的に他の人の助けにもなると いうのは非常に嬉しいことです。そして、これはどんなサイエンスにおいても言えると思いますが、他の研究者と自分の仕事を作り上げ、共有することは問題を解決するために非常に重要だと思います。

 三つめはIABが総力を挙げて取り組んだ大腸菌の大規模マルチスケール研究です。このプロジェクトには非常に沢山の研究 者が関わっていますので、私が携わったのはその一部ということになります。この研究では、中心炭素代謝に含まれる様々な遺伝子を欠損させ、それぞれの細胞 (およそ25遺伝子のノックアウトを解析)で遺伝子とタンパク質の発現レベルや代謝物の濃度と代謝流量を定量的に測定しました。これらの遺伝的変化に加え、栄養を制限した培地に少しずつグルコース量を増加させていくことでコントロールされた増殖率の変化が及ぼす影響についても調べました。そして、細胞増殖率が上昇していくにつれて、細胞の内部では徐々にタンパク質合成に資源が配分されていくことが定量的に観察され、また、中心炭素代謝系は一遺伝子の欠損に対して大変にロバストであることがわかりました。これらの発見は、代謝経路がいかに重要かということ、また、細胞内では代替経路を使い分けることによ り、様々な摂動に適応できる十分な準備ができているということを示しています。私はこの研究から多くのインスピレーションを得ましたし、世界中の研究者にとっても同じくらいインパクトがあったのではないかと思います。このプロジェクトは既に終了しましたが、得られたデータはこれからも多くの大腸菌の生物学に貢献し続けるでしょう。

 そして、三つ目のプロジェクトとして、私は大腸菌が異なる環境へ適応する際の代謝変化を研究しています。生物はさまざまな環境の変化に常に柔軟に適応してみせますが、そのときに如何に細胞がその活動を最適化しているのか。これはとても複雑な問題ですが、幸いIABにはこういった問題を解決するための素晴らしい実験設備があり、また、一番重要なこととして、素晴らしい同僚や仲間に恵まれています。

─ 一番初めに手がけた研究はどのようなものでしたか?

 私は学部生の頃は生化学を学んでいました。そのため、基本的なバックグラウンドは生化学、それもかなりコアな有機化学や生化学実験が中心でした。しかし、卒業前の夏に私は地元の大きな大学病院の泌尿器学の研究室で実験をする機会を得まして、そこで実験研究がどのようなものかを知り、半年後には大学院の研究のためにこのラボに戻りました。博士課程の時には精漿の生化学に着手し、精子の動きに影響するタンパク質を解析しました。この研究の大部分は、いわゆる生化学の手法で精子の動きに影響するタンパク質を精製し活性部位を単離するという面倒な作業でしたが、なんとかタンパク質の精製には成功し、目的のタンパク質は大きなタンパク質の断片であることに気づきました。その断片は前駆体分子から切り出されたものだったのです。これ は断片化過程を研究するいい機会だったので、私はさらに同じ遺伝子がコードしている、より大きな原型のタンパク質も単離しました。そして、このタンパク質 を切断する酵素を探して見つけることにも成功しました。すると、驚いたことにこの切断酵素はすでに前立腺がんのバイオマーカーとして広く利用されている prostate-specific antigen (PSA)であることが分かりました。少なくともその時点では、PSAは前立腺がん進行を示す一番良いマーカーでした。このタンパク質は、血清で確実に検出され、がんのレベルが上がると共に多く検出される数少ない前立腺がん特異的なタンパク質であったために、医師は生物学的な機能が分からないままこれを使用していました。私はこのタンパク質の酵素活性が精子の運動阻害因子を分解するために重要であることを突き止めたのです。

 タンパク質は生命現象を司る主要な要素ですから、細胞の機能や機構に興味を持った場合、多くの人はまずタンパク質に注目するでしょう。現在も私はタンパク質に興味があり、その上で先ほど述べた通り、代謝の研究に取り組んでいます。代謝とは、遺伝的にコードされた生体分子と、生化学的に派生した代謝物を結びつけている重要な機構です。

 ときに人生は予期せぬ道へと人を導くものです。私はラボに学びに来ていた日本の医者や科学者と仲良くなり、博士課程の修了の前に彼らが私を日本のラボに招待してくれたので、まだカナダの大学の学生ではありましたがその時日本に6ヶ月ほど滞在しました。この時の経験は、お世辞ではなくとても素晴らしいものでした。私は全てにワクワクして、ありとあらゆるものに魅了されました。これまでの私の人生で最も印象深かったと言っても過言ではありません。その後、学位を修了するためにカナダの地元に戻りましたが、日本での経験がとても衝撃的で良い経験だったため、学位修了後には日本で研究をしようと決意しました。それから現在に至るまで、私はもう10年以上もここにいるんですよ。もしあの時私がカナダから日本を訪れなければ、現在の私は存在せず、もっと別の道を歩んでいたでしょう。このように小さな偶然が後の人生を大きく変えることは誰にでもあることではあると思いますが、面白いですよね。

─ 研究以外での日々の習慣を教えてください。

 毎日数時間は寝る様にしています。が、それを聞いてるんじゃないですよね(笑) そうですね、家に帰ったら家族と自分自身のために時間を確保するようにしています。何をしてもいい自由な時間、例えば本を読んだりテレビを見たり、音楽を聞いたり、インターネットでウェブを眺めているような...。基本的にそういった時間は深夜になりますが、自らをリセットしてリラックスするための時間です。活発な趣味ではないですが、こういった時間を毎日作るようにはしています。

─ 趣味は何ですか。

 技術的な探求ではなく、あくまでも趣味のレベルなのですが、写真を撮ることが好きです。楽しんで撮影し、最高の瞬間をとらえることに面白さを感じています。写真の中に固定された瞬間が時にとても素晴らしく描写され、また、時に全くそうでないこともあるところが魅力的です。 連続的な時間の流れのたった一コマを切り取ることでうまれる「ゆがみ」のようなものなんだと思います。写真は芸術と科学の融合で、特殊な技術や豪華な機材がなくても私は充分に楽しんでいます。

─ 人生において大切にしていることはありますか?

 私は自分がおおらかな性格で、親しみやすく、フレンドリーであると思っています。人と関わるのが好きで、多くの人と一緒に様々な経験を共有して楽しむようにしています。世の中と全く関わりを持たずに山頂に一人で隠居でもしない限り、大きさや場所に関わらず社会の中で生きるのならば、オープンでいることや人を尊敬し寛容でいることは、幸せな人生を送るために重要です。私は日本に住むことで多くの素晴らしいことを学びましたが、これはそのうちの一つです。また、人生は何が起るか分からず、突然大きな壁が目の前に現れたりすることがありますが、その経験は自らを成長させてくれる重要なポイントになると思っています。これは人との個人的な関係性でも、仕事でも、どのような場面でもおいても言えることです。全ての人と理解し合うことは簡単ではありませんが、それでも、私は人との関わりを重要に思っています。日々の生活で学ぶことがあると思うことが好きですし、年をとるにつれてこの希望がなくなりそうになることもありますが、それでもオープンマインドのままでいたいと思っています。

─ 将来、成し遂げたい夢や目標はありますか?

 常にいろいろな意味で成長していきたいと思っています。幸運な事にいくつかの夢はすでに実現しました。夢と目標は常に変化するので、私が今考えていることも数年後は違ってくるかもしれません。今は今後も研究を続けられたらと思いますし、自分が本当に楽しいと思う仕事ができたら良いですね。研究の世界はそんなに簡単なものではないと分かっていますが、続けていきたいです。最終的なゴールとしては、もちろん、私の仕事やそのほかの活動を通して社会に大きく貢献をしていきたいです。

 また、自分の選んだ道を進み続けて行きたいですね。そのためには継続的な努力が必要で、何かが起きるのを待っているような受け身ではならないと思っています。自分の研究と生活のどちらでも新しい道を探索して行きたいし、いつか大きな発見をしたいと思っています。

 しかし、現段階では大きなパズルの一部を発見することでも良いと思っています。私にとっては、プライベートと仕事のどちらにおいても、人生は継続的な努力の賜物だと思っていますので。

(2007年11月8日 インタビューア:小川雪乃編集:木戸信博・喜久田薫 写真:増田豪)

TOPへ