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松尾剛特任講師

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─現在の研究について教えてください。

 今行っているのはメタボローム研究です。慶應義塾大学先端生命科学研究所(慶大IAB)メタボローム棟には、キャピラリー電気泳動装置(CE)と質量分析計(MS)を組み合わせたCE-MSなど、世界最先端の分析技術があります。これを用いるとさまざまな成分が詳細に検出できるのですが、残念ながら現状では検出されたものの大半がよくわからない物質なのです。現在(※インタビュー当時)、KEGGと呼ばれるデータベースに10,500種ほどの化合物が登録されているのですが、そのうち私たちが標品として持っている化合物は約2,500種しかない、つまり8,000種の化 合物に関しては標準となる物質がないのです。ということで、この8,000種の化合物を化学合成し、ライブラリーを作成することを目指しています。

─具体的にはどのようなことをされているのですか?

 化合物を8,000種作ろうと思っても、まずはどこか一から始めないといけません。ちょうど以前所属していた北海道大学からN-アセチル化合物を作ってもらいたいとの要望がありましたので、最初はこの一種であるN-アセチルオクトパミンの合成を行いました。この物質は東京大学、北海道大学、そして理化学研究所が脳機能の解明を試みるため、主にコオロギの脳のオクトパミンを分析するために使っています。コオロギが喧嘩すると、勝ったものと負けたものが出るじゃないですか。この勝った方と負けた方で脳内のオクトパミンの量が違うのです。勝った方は、オクトパミンが戦いの時に減った後、なだらかに増えて回復していくのですが、負けた方は負けた瞬間にドーンと減って、何時間かずっと少ない状態でいます。この間、負けた方のコオロギは戦いを避け、別のコオロギに会っても『だめだ、俺戦いたくない』という様子をみせる。普通は出会った瞬間に戦いをするのですけれど、負けたコオロギは 一種の鬱状態になっている。つまり脳内の代謝物質の変化で行動が変わるのです。

 オクトパミンのようにある特定の物質を合成する方法もありますが、逆にこういう物質があるのではないかと未知の物質を合成してみる方法もあります。こういった方法で合成された新規物質は、おそらくCE-MSで調べている中で今後見つかってくるのではないかと思うのです。こ のような新規物質を応用することで、将来的には新しい代謝系が見つかってくるのではないかと考えています。ただ単に標品がない化合物を作りましょうというだけではなく、KEGGのデータベースにもまだ登録されていないような新しい物質を、慶大IABで見つけていくことを目指しています。

─ 研究のポリシーを教えてください。

 僕の場合は化学が専攻なので、化学を軸にして研究し、化学の言葉で生命現象を語るということをしたいです。有機合成化学をずっとやってきたのですけれども、有機合成化学というのはただ作っているだけと思われがちで、しかも表面的には何でも作れると思われがちです。でも、有機合成化学は未知の物質の本質を解き明かしていく学問でもあります。そういうことに気付かれている方は、有機合成の研究者を多く採用したりしているので す。新しい物質ができないと進展が無いですからね。

─ 大学時代はどういった研究をされていたのでしょうか?

 大学時代は新しいタイプの抗がん剤を作るということをしていました。抗がん剤ではアドリアマイシン系列の物質が今一番使われているのですが、副作用の問題があります。脱毛とか、心臓に負担がかかるとかいろいろあるのですけれど、それはなぜかというと体内で代謝されてしまうからです。この物質は構造上糖がついていて、体内に入ると代謝でその糖が切れてとれてしまいます。それでこの部分が副作用を起こしてしまうのです。慶應義塾大学理工学部に所属していた頃は、この部分が切れないタイプの抗がん剤を作っていました。これが学生時代にやっていたことです。

 そのあと理化学研究所(理研)に行きました。理研では、海からとれる海洋産天然物で、ポリエーテル系化合物のブレベトキ シンBをつくっていました。名前から解るようにこれは毒です。神経に作用してしまうような毒なのですが、さまざまな神経の機能を調べる上ではこういう物質も必要なのです。この物質を作るのには5年以上かかりました。実はちょっと前にアメリカでも同じ物質が作られたのですけれど、アメリカではこれに12年もかかったんですよ。その物質を12年で作るために、どのくらい投資されたと思いますか?カリフォルニア大学サンディエゴ校とスクリプス研究所が作ったのですけど、15人のポスドクと15人の院生を投入して12年もかかったのです。それに比べて我々はわずか5人と5年で、独自の合成法を使ってできました。当然我々の手法の方が短期間でできます。

 今まで抗がん剤とか抗生物質とかいろいろな化合物を作ってきたのですが、いずれも作ったらそれで終わってしまっていて、 常々その先を知りたいという欲求がありました。作った抗がん性抗生物質がどういう働きをするのか、どうやって効くのかを知りたかったのです。それでその後、北海道大学に移って物理化学的なアプローチをしたのです。北海道大学のナノテクノロジーセンターという所に行ったのですが、ここで有機合成化学と物理を融合させて、生体の構造とおなじ構造を持つゲルを作りました。生物の細胞膜って2分子膜でできていますよね。その2分子膜を含有させているゲルを作成したのです。この生体膜である2分子膜が含有したゲルを用いてタンパク質のゲル電気泳動実験をして、相互作用を観察してみました。生命体はキラル分子で出来ていますが、その理由を解明していくうちにキラル分子はラセミ体より密に並ぶことが分かってきました。例えるなら、皆さんがよりきめ細かい肌を好むようなものでしょうか。このように興味深いことがわかってきましたが、でもやっぱりダイレクトに生物をやりたいと思ったので、化学合成と物理化学にさらに生物を IABにきて融合させて、ここでメタボロームをやっています。

─ 化学・物理・生物の融合の先に何を目指しているのでしょうか?

 私の祖母が私が大学院生の時に癌で亡くなったのです。その時、偉そうに抗がん剤を作っていると言っていたのですけれど、 癌になった祖母をみて、全くの無力さを感じました。作っている抗がん剤も、10年20年先の新しいタイプの抗がん剤を作っているので、いろいろな検査を経て最後まで生き残れる物質かどうかはわかりませんし、少なくとも何らかにはおそらく寄与するとはいえ、実際その方向性で続けていって良いのか、という疑問はどうしてもありますよね。副作用もいろいろあるので,薬剤を実際に使用した時にどうなるのか、という疑問もありました。結局やはり視野を広く持たなくてはいけないと思ったので、物理や生物の見地でみてみようというと思い立ちました。

 慶大IABに来た大きな狙いは、代謝物全体をみればいろいろな病気を治せる方法が見つかるのではないか、ということで す。例えば がんになる人とか、さまざまな病気になる人というのは、恐らく日頃の食生活とか生活習慣やストレスが原因で普段とは異なる代謝状態に入ってしまうのだと思っています。

 つまり、代謝そのものが異常になることが、その疾病の原因になっているのではないかと考えています。そういった異常な代謝を正常なサイクルに持っていくような狙いでいけば、病気が治っていくのではないでしょうか。例えばがんも、代謝が普段とは別の状態に入ったことが引き金になってできるのではないかと考えています。がんってなんだろう?と考える時、がん細胞って単に悪いものだと考えられがちじゃないですか。がん細胞が体の中にできると、今は抗がん剤でやっつけたり取り除 いたりして治療しますが、一説にはがん細胞は体内を浄化するためにできているものだとも言われています。体の中の状態が悪いから悪いものが出来たという説もありますが、僕は代謝を綺麗にすればがん細胞が消えていくのではないか、というアプローチをとっているのです。

 だからがんを直接取り除こうというアプローチもありますが、それは根本的な治療ではないと思います。そういったものを見るためにはメタボローム的に、代謝系全体を見渡してみることが必要だという考えで研究しているのです。

─ 物質を作る時には、構造をみるとこの物質をベースにこうすれば良いというアイディアがすぐ浮かぶのですか?

 そうですね、ある程度は調べるのですが、「この化合物はこの物質が一番近いな」といったように自分の知識と経験で作っていきます。有機合成化学は成熟した分野といわれていますが、理論的には合成可能だけれども実際には合成できないこともあるので、それが苦労することですね。実際いろいろな化合物を作っているのですが、中には先ほど話したように5年かかったものもあります。このような世界トップクラスの難易度のものになる と、合成にも100ステップくらいが必要になり、こういったものを作れるということが比較的シンプルなものも作れる、という自信になっています。何キロという原料から最後には数mgあれば御の字、というものですね。100工程あるとトータル集率が1%切ったりしますが、それでも必要とあれば、私たち合成の人はやります。

─ ものができる、というのはとても楽しいですよね。且つ、学問的にも楽しいという両立がとても魅力的ですね。

 慶大IABに来て面白いと思うことは、メタボローム棟でやっているカニのフェロモンですね。これはアメリカのジョージア州立大学のグループと共同研究している話なのですが、ソフトシェルクラブって知っていますか?これ、おいしいですよね!僕も最近初めて食べたのですが。

─ 食べたことあります。おいしいですよね、エスニック系のお料理に多いですよね。

 そのソフトシェルクラブで面白い現象があるのです。脱皮前の雄が、雌の尿に被爆するとダンスするのです。ダンスするのはなぜなのでしょうね。アメリカのグループはまさにその原因物質を探索しているらしいのですが、尿からとれている物質が本当に微量なので、あれかこれかと試 しています。そこで慶大IABの曽我朋義教授のグループが質量分析器でいろいろな分析をして、こういう構造なんじゃないか、と予測したのです。それを実際に作ってくれと頼まれて、我々のグループで作りました。

 新しい活性を持っている物質と推定されたものの合成依頼がくるので、大変挑戦しがいがありますし、そういった新規物質をすぐに作れるというのが慶大IABに来た強みだと思います。

─ 研究以外に日々の生活で大切にしていることはありますか?

 私はてっきり鶴岡に来たのは初めてだと思っていたのですが、実は大学1年の時に1度来ていることをここに来て思い出しま した。慶應義塾大学日吉キャンパスの生協で申し込んで、関東自動車学校の余目(あまるめ)校という所で自動車免許を取ったのです。なぜ余目校にしたかとい うと、関東自動車学校には溝ノ口校もあって、間に合わなかったら単位が移せるということと、湯野浜ホテルから送迎だったので、そこから通って、休み時間に海で泳げたからです (笑) 鶴岡はそういう縁がある土地です。

 ちょっとマニアックな話なのですが、鶴岡って卓球が強いのです。僕は地元が千葉で、中学校の時には卓球部でした。その時の全日本チャンピオンが鶴岡出身の人で、その人を雑誌でよく見たりしながら漠然と卓球は東北エリアが強いと思っていたのですけど、ここに来たらその辺のおじさんおばさんが本当にみんなとても強くて。今は鶴岡市役所の人や飯田事務長と合同で私もリーグ戦に出るのですけど、結構みんな強くてなかなか勝てない。 鶴岡の人たちは本当に全国トップレベルじゃないですかね。

 あと、ちょっと研究につながる話になりますが、鶴岡って野菜とかこだわって作っていますよね。三元豚とか。もの作りに非常にこだわった地域なので、化合物のもの作りも合うのではないかと個人的には思っています。

─ 鶴岡は創造性や新しいことへの取り組みが旺盛な地域という印象がありますね。最後になりますが、今後の夢を教えてください。

 今まで治療が困難だった、がんやエイズや行動疾病などの病気を、メタボローム研究を極めることで治癒可能にしたい。そういう分野に貢献したいです。

─ どうもありがとうございました。

(2009年11月6日 インタビューア:小川雪乃 編集:池田香織 写真:増田豪)

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