慶應義塾大学先端生命科学研究所慶應義塾大学先端生命科学研究所

論文/ハイライト

HOME 論文/ハイライト 研究ハイライト 研究者インタビュー 村井純子特任准教授

村井純子特任准教授

村井純子特任准教授
村井純子特任准教授

─現在の研究テーマについて教えてください。

DNA障害型抗がん剤の感受性を飛躍的に高めるSLFN11(しゅらーふぇんいれぶん、Schlafen 11)の機能解析と臨床応用をしています。DNA障害型、というのは、様々な種類がある抗がん剤の中で、DNAに傷をつけるタイプの抗がん剤(白金製剤など)のことを指します。抗がん剤は投与されても効果がでない場合や、効果があっても持続しない場合が少なくないことが何十年も前から問題なのですが、抗がん剤が効くか・効かないか、を大きく左右する遺伝子として、2012年にSLFN11が報告されました。私は、この遺伝子の重要性を報告したアメリカ国立衛生研究所(NIH)のラボで当時研究しており、この遺伝子がいかに大事かということを、研究を通して気付きました。SLFN11と出会ってからこの遺伝子にずっと魅了されて、研究を続けています。

─どういうアプローチですか。

SLFN11は、がん治療薬として使用される白金製剤や、2018年に卵巣がんに対し承認されたPARP阻害剤の抗がん効果を高めます。私はまず、抗がん剤投与下でSLFN11が、DNAとタンパク質の複合体に結合し、DNAの複製を止めることを発見しました。DNAの複製が途中で止まった状態が数時間つづくことは、細胞にとって致死的なダメージとなります。また、SLFN11にはこの複合体の構造を変化させる働きがあり、同時にストレスや免疫反応に関わる遺伝子群の発現を数倍〜数十倍にも高まることを発見しました。これらの発見をどう発展させるか、というのが現在のフェーズで、大きく二つに分かれています。

一つ目は、これまでに発見してきた、実験室の細胞レベルで見られる現象が本当に患者さんのがん細胞でも起こっていることなのか、臨床検体を用いて検証するアプローチです。私が使っている抗がん剤はDNAに傷をつけて細胞死を誘導するので、DNA障害型抗がん剤と呼ばれ、約50年前から現在に至るまでがん治療の最前線で使用され続けており、既にたくさんのデータが蓄積されています。そのデータを見直すとさまざまな結果が出てきますが、慶應義塾大学先端生命科学研究所(以降IAB)では病院を持っていません。そこで、国内の研究者に、「がん細胞におけるSLFN11のタンパク質量が、抗がん剤の効果に影響があったかどうか調べて欲しい」と共同研究を提案し、現在、日本国内12箇所の共同研究先と共に脳腫瘍・乳がん・卵巣がん・胃がん・食道がん・頭頸部がん・膀胱がん 等について共同研究を推進中です。今後SLFN11と臨床検体を用いたエビデンスが蓄積される事で、臨床的にSLFN11が、本当に有用かどうかが判明します。

二つ目は、IABで行うこととして、SLFN11の細胞レベル、そしてマウスレベルでの機能解析に取り組んでいます。SLFN11の機能が大事だとわかったのは2012年です。それより前にはほとんど解析の対象とはされていない無名のタンパク質であり、分子生物学の歴史からすると、新参者の遺伝子です。SLFN11の機能は、これまで知られていたどの遺伝子の機能とも似ておらず、まだ分かっていないことばかりです。いろいろ調べていますが、マウスにはSLFN11に相応する遺伝子はないようです。「タンパク質量が多いと抗がん剤の効きが良くなって、ヒトにはあるけれどマウス にはない」そんな都合のよい遺伝子があって良いものか?と日々疑問に思っています。人類の歴史の中で抗がん剤が登場したのは、この4050年ですから、SLFN11には抗がん剤に関係ない、もともと備わっている機能があるはずだと考えています。人の体のどの細胞、どの組織でSLFN11タンパク質が存在するのかを調べたところ、全身でタンパク質が見つかるわけではなく、特殊なところでしか見つかりませんでした。これらのことから、"正常な人の体の中でSLFN11は実際何をしているのか"ということが、直近の興味であり課題です。

murai_photo_1.jpg


─研究のポリシーは何ですか。

「自然科学は裏切らない」というのがポリシーです。目の前で起こっている現象を理解しようとするように心掛けています。ある程度指針は立てつつも、先入観は入れずにあくまでも結果をしっかりと考察するということをポリシーとしています。例えば、学生さんが予測した結果と異なった場合「変な結果が出たんですけど...」という場合がありますが、「変じゃないよ。その結果について一緒に考えよう。」と目の前で起こっている現象を大切にしています。


─影響を受けた人や出来事はありますか。

高校3年生の時の物理の先生です。私は子供の頃から勉強が好きで受験勉強も大好きでした。進路相談の際、「お医者さんというのは一生勉強するものやで」と言われたのがきっかけで、医学部に行きました。とはいえ大学ではバドミントン部での活動に明け暮れて、ほとんど勉強しない人間になってしまいました。先輩の勧めで整形外科に入局したのですが、臨床生活の傍ら大学院セミナーや学会に参加して、知らないことが多すぎることに気付き、「勉強が好きだったあの頃」の感覚が戻ってきて大学院に進学しました。臨床が好きだったので大学院進学を実は迷っていましたが、医局の先輩に「世界で自分しか知らんことがあるってすごいじゃん」と言われ、単純明快な私はそうやなーと思い大学院に入りました。この「世界で自分しか知らないこと=せかじぶ」は、研究時には欠かせない感覚であり、結果が出た時に「せかじぶ」と思えるかどうかを一つの指標に研究をしています。

─研究を行う上で大事にしていることはありますか。

ポリシーと重複するのですが、「常識に囚われない」ということを大事にしています。常識にはなっていない常識(普遍的な生命現象)はまだ多くあると思っています。科学にはトレンドがあります。急にある実験手法や概念が流行ると、いつの間にかそれが常識になっているんです。ただ「Aの研究をしたらBの事象が全て明らかになる」とは限らないです。常識はいつの間にか大勢によって作られてしまいますが、それに囚われてしまうと見逃してしまうことが多くあると思っています。SLFN11もその一つで、2012年まで発見されていなかったSLFN11によって、今まで言われていた様々なことが覆るんです。例えば、抗がん剤ってDNAに傷をつけるからがん細胞が死ぬ。それは何十年も言われていたことですが、不思議なことに、DNAにつく傷の数はSLFN11がある時とない時で変わらないにも関わらず、SLFN11がある時の方が断然死ぬのです。このことからDNAに傷をつけたら死ぬというのは、相変わらず正しいんですけど、SLFN11がある細胞では、SLFN11がその傷を増強させることでさらに死にやすい、ということが、明らかになりました。 これが、1%のがん細胞でしか見られない現象であれば、そういうこともあるが滅多にないこと、で終わりますが、患者さん由来のがん細胞株の半数でSLFN11の発現が確認されています。このことから「抗がん剤はDNAに傷をつけてがん細胞を殺すのだけれども、SLFN11がある細胞ではSLFN11によって抗がん作用が増強される。」と教科書に掲載してもよいくらいの常識になると思っています 。これまで見過ごされてきた要因として、マウス にSLFN11がないことと、細胞生物的な研究において歴史的に頻用されてきた細胞株においては、軒並みSLFN11の発現量が極めて低いことが考えられます。このように、"取り残された常識"というのがあるので、そういうものを見逃さない感覚を大事にしています。

murai_photo_2.JPG


─鶴岡で研究をする意義は何でしょうか。

都会に比べて人的・時間的ストレスの少ない環境でのびのびと実験できること、です。適切な数の学生さんたちが来て、さらに学生さんのやる気やモチベーションが高いと思います。人が少ないということが私の中では大きな魅力です。また、私は「ノビノビサイエンス」と言っていますが、サイエンスは人にあれしろこれしろと言われた瞬間に萎えると思っており、好奇心にドリブンされたものが研究だと考えています。研究は仕事ですが、自分の好奇心に基づいてでき、それが雑音なくきちんとできるのがここIABだと思いますし、全国拡しといえどもこの環境はIAB@鶴岡以外になかなか無いと思います 。

鶴岡に来て1年半経ちますが、もともとテニスとバトミントンをしていたので、すぐにコミュニティに入り、庄内にたくさん知り合いができました。私は大阪の和泉市出身なので、庄内の方と話すと開始3秒で「関西の人ですか!」って言われるんですよ(笑)。ちなみに私は英語も関西弁です。鶴岡から余目町に行くまでに田んぼを突っ切るのですが、季節ごとに本当に美しい光景が広がっていて、心が浄化されます。冬の雪は不便ですが、なんでも便利になる世の中もどうかと思っていますので、いまのところは冬の雪も好きです。大阪、広島、京都、アメリカ東海岸で生活しましたが、庄内は私のライフスタイルに最も合っているようで、定年後は庄内に戻ってこようと思っています。研究生活残り20年です。5年後にどうなっているかも分かりませんが、IAB@鶴岡での研究期間は間違いなく大きな糧になっています。

murai_photo_3.jpeg










─最後に今後の展望をお聞かせください。

今取り組んでいるSLFN11の共同研究を、5年以内にガン患者さんの役に立つところまで持っていきたいと思っています。抗がん剤が効くか効かないか、分からないで投与されることはとても辛いですよね。しかし、抗がん剤で助かる患者さんが大勢いるので、現時点ではベストな方法です。さまざまな新薬が登場していますが、DNAに傷をつけるタイプの薬は、幅広くがん治療で使用されています。しかし残念なことに、今はその効くか効かないかの指標がまだありません。しかし、SLFN11は、広範なDNA障害型の抗がん剤に対し効果の予測に使えるバイオマーカー(生物学的指標)としての十分な可能性があります。少なくともSLFN11のタンパク質量が少なければ、"この薬Aはやめておこう。その代わりに別の薬Bに切り替えるか、薬Aの効きをよくするための薬Cを追加しよう "と検討することができます。そして、もしSLFN11のタンパク質量が多ければ、"今は辛いけど、薬Aが効くタイプだから頑張りましょう"と希望が持てると思います。将来、患者さんに合った薬の選択性がより高まれば、と思っております。

バイオマーカーやプレシジョン・メディシン(個別の患者情報に基づいた医療)というのは、私だけではなく世界中の人が同様に研究していますが、なかなか良い遺伝子は見つかっていません。SLFN11は恐らくヒット項目のトップにくるような良い遺伝子だと思っています。しかし、2012年以降しか歴史のない遺伝子のため、現在のSLFN11研究は玉石混交の状況です。私はSLFN11が、がん治療に役立つことを確信していますので、SLFN11の研究が正しい方向に向かうように、自分の研究を鋭意進めていくとともに重要性を多くの研究者に理解してもらい、SLFN11研究者が増えることを願っております。

─ありがとうございました。
2020515日 インタビューア:安在 麻貴子 写真:岩井 碩慶)

TOPへ