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シロイヌナズナの大規模リン酸化プロテオーム解析

新技術によって植物細胞におけるチロシンリン酸化部位の大量同定に成功

Sugiyama, N., Nakagami, H., Mochida, K., Daudi, A., Tomita, M., Shirasu, K. and Ishihama, Y. Large-scale phosphorylation mapping reveals the extent of tyrosine phosphorylation in Arabidopsis. . Mol Syst Biol. 4 :193.

ほとんどの生物種にとって、タンパク質のリン酸化はもっとも重要な翻訳後修飾のひとつである。細胞はタンパク質のリン酸化・脱リン酸化反応をくりかえることによって細胞内のシグナル伝達や代謝反応を調節し、細胞機能を維持している。リン酸化は主にタンパク質のセリン・スレオニン・チロシン残基でおこるが、その中でも生物学的に特に重要なシグナル伝達に関与しているのがチロシンのリン酸化であるといわれている。

 しかしながら、植物のゲノム上にはヒトが保有するチロシン残基リン酸化酵素(チロシンキナーゼ)が存在しておらず、これまでに行われた植物のリン酸化プロテオーム解析でもチロシンのリン酸化はほとんど観測されていなかった。杉山博士らの研究グループでは、シロイヌナズナ細胞の大規模なリン酸化プロテオーム解析を行い、ヒトと同程度の割合でチロシンのリン酸化が起きていることを世界で初めて確認した。この結果により、植物の生命活動においてもチロシンのリン酸化が重要な役割を果たしている可能性を示唆したのである。

 杉山博士らは、より大規模なリン酸化プロテオームデータを取得するために、これまでに当研究所で開発した高選択的リン酸化ペプチド精製法;HAMMOC(Hydroxy Acid-Modified Metal Oxide Chromatography)(参考リンク:Molecular & Celular Proteomics,2007 インタビュー)と、既存の精製手法であるIMAC(Immobilized Metal Affinity Chromatography)法をさまざまな条件下で試行し、計6つの手法を併用してシロイヌナズナ抽出物のトリプシン消化物からリン酸化ペプチドの精製をおこなった。それぞれの手法により精製されたリン酸化ペプチドをnano LC-MS/MSで測定・解析して、シロイヌナズナで総計2,172のリン酸化部位を同定することに成功した(表1)。

 今回同定した2,172のリン酸化部位のうち、リン酸化チロシン残基は94ヶ所で全体の4.3%であった(表1)。ヒト由来試料を用いてリン酸化プロテオーム解析をおこなった場合に同定されるリン酸化チロシン残基の割合が全体の2~6%であることを考慮すると、植物においてもヒトと同程度にチロシンのリン酸化が起きていることが明らかとなった。さらに、リン酸化部位周辺のアミノ酸配列の系統解析も行い、チロシンリン酸化部位周辺のアミノ酸配列の保存性がセリンやスレオニンの場合と比較して高いことを確認した。これらの結果から、チロシンのリン酸化がヒトの場合と同様に植物の細胞内でも重要な役割を果たしていることが示唆される。

 杉山博士によれば、今回適用した手法はいずれも改良の余地がまだ残されているという。リン酸化ペプチドの精製に使用した酸化金属や溶出条件によって得られるリン酸化ペプチドが異なり(図1)、等電点や疎水性、ペプチド1個あたりのリン酸化数など物性が大きく異なることが、その主な理由としてあげられる。このように、今回使用した精製手法はいずれも完璧なものではなく、さらにパフォーマンスの良い手法の開発が期待できると杉山博士は語る。実際に本論文発表後も測定法や解析法は改良されており、現時点で4,000サイト以上のリン酸化部位に関するデータが同一のシロイヌナズナ培養細胞抽出物から得られているそうだ。なお、今回の論文に掲載されているシロイヌナズナのリン酸化部位情報はIABのPepBaseというウェブサイト(http://pepbase.iab.keio.ac.jp/)で公開されている。

 新たなリン酸化ペプチド精製手法の開発によって大規模なリン酸化プロテオーム解析が可能になり、これまでに観測できなかった重要なリン酸化部位の発見につながった。これは、方法論の開発と基礎研究の両面において意義ある成果であるといえる。杉山博士は、「植物細胞においてチロシンリン酸化を行っている当事者やそのメカニズムを明らかにする研究と、リン酸化プロテオームの手法改良を平行して続けていきたい。」と、今後の抱負を語ってくれた。

<表1>

シロイヌナズナで同定されたリン酸化ペプチド、タンパク質、サイト数とリン酸化されたアミノ酸残基の割合

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<図1>

異なる精製手法により得られたリン酸化ペプチドのオーバーラップ。当研究所で開発した2種類のHAMMOC法(Ti-HAMMOC; チタニア/乳酸法、Zr-HAMMOC; ジルコニア/乳酸法)とIMAC法(Fe-IMAC)それぞれの手法を使用してリン酸化プロテオーム解析を行った際のペプチド同定数およびデータの重なりを示している。

[ 編集: 西野 泰子 ]

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