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口腔がん,乳がん,膵臓がんを唾液検査で発見する

メタボローム技術を駆使して患者に負担の少ないがん診断法の確立をめざす

Masahiro Sugimoto, David T. Wong, Akiyoshi Hirayama, Tomoyoshi Soga, Masaru Tomita. (2010) Capillary electrophoresis mass spectrometry-based saliva metabolomics identified oral, breast and pancreatic cancer-specific profiles. Metabolomics, 6(1), 78-95. 

 がんの診断において,特に早期発見のための検査では,高い検出精度だけではなく,患者に負担が少なく,低コストな検査方法が求められる.唾液は血液や尿と比較しても安全で容易に取得できる体液であり,様々な病気の診断や,薬物モニタリングへの適用が期待されている.そこで杉本助教らは,アメリカ カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のDavid Wong博士らとの共同研究により,メタボローム測定による唾液を用いたがん診断の可能性を探った.Wong博士らは既に唾液中のたんぱく質やmRNAなどを用いた口腔がん診断技術の研究開発を行ってきていたが,実用にあたっては精度がまだ不十分であり,改善の余地があった.  今回,杉本助教らはキャピラリー電気泳動-質量分析装置(CE-TOFMS)を用いて唾液中イオン性物質のノンターゲット解析(標的を絞らずに測定できる物質を全て検出し,その中で重要な物質は何かを特定する方法)を行い,健常者および,口腔がん・乳がん・膵臓がん・歯周病各患者の合計215症例の唾液サンプルから代謝プロファイルを取得した.この中で,健常者と各病態で統計的に有意差のある57の代謝物質を特定した.これらの物質に関して症例ごとの濃度差を調べたところ,全般的に健常者と歯周病患者では差が小さく,口腔がん・乳がん・膵臓がん患者では差が大きい傾向がみられた.1つの代謝物質で十分に病態を分離することができるいわゆる分子マーカーのようなものは見つからなかったが,複数の代謝物質の濃度パターンを見て各病態を分離する数理モデルを作ったところ,どの病態も極めて高い精度で分離することができた.健常者と口腔がん患者に関しては,年齢,性別,人種といった情報が入手できたので,57の代謝物質との相関を調べたが,結果として関連は低く,今回のマーカーがこれら年齢などの違いよりも病気ごとの違いを反映している可能性が高いことも示唆された.

 しかし,杉本助教は,あくまでの今回の結果はまだ唾液によるがん診断の可能性を示唆しただけであり,唾液診断を実用段階に持って行くためにはまだ多くの研究が必要だという.例えば,がんの進行度など様々な臨床情報と突き合わせた解析や,多施設の症例データを用いた評価試験は欠かせない.また,病態間で差のあった代謝物質と,血液や組織中との代謝変動との相関を調べるなど,生化学的メカニズムの解明も同時に必要であろう.これらの課題の解決の可否が,この唾液診断という画期的な技術の実用化の鍵であると考えられる.唾液のみで簡便にがんの診断が可能になれば,早期発見が促され,がん治療にも大きな可能性が開けるだろう.まだ基礎研究段階であるとはいえ,実用化に向けたさらなる研究に期待したい.

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図のキャプション
 健常者と各病態を見分ける感度(患者を「患者である」と判断できる割合)と特異性(患者でない人を正しく判断できる割合)の図.カッコ内の数値は,赤色の結果を%で表記した場合の予測精度.図中の曲線は,左上に近づくほど感度がよく,特性もよいことを示している.赤色は測定データ全てを用いた場合の結果.青色はクロスバリデーション(測定データを2分割し,片方のデータで数理モデルを作成して,もう片方のデータを仮想的に評価データと見立てて予測精度を評価する方法)を実施したときの結果.青色の曲線と赤色の曲線の差が小さいほうが,他の症例でも予測が正確にできることを示す.例えば乳がんでは青色の予測精度の性能劣化(曲線が右下に移動する)が大きいが,歯周病などでは性能劣化がほとんどないことを意味している.

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