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誰も考えなかった大腸菌溶液での安定な細胞外核酸

ゲノム構築法への応用と水平伝播での役割解明にむけて


Itaya. M, and Kaneko. S. (2010) Integration of stable extra-cellular DNA released from Escherichia coli into the Bacillus subtilis genome vector by culture mix method. Nucleic Acids Res, 38(8), 2551-2557.

  遺伝子工学、ゲノム工学では、大腸菌で組換え DNA を調製することから始まる。大腸菌では遺伝子操作系が完備しており、短い DNA なら問題なく調製できるが、巨大な DNA の扱いは不得手である。従って、ゲノム全体 (>500 kbp) のような巨大 DNA のクローニング操作では、現状では枯草菌、酵母のような特殊な宿主を利用しなければならない。枯草菌、酵母での巨大 DNA (=ゲノム DNA) のクローニング操作は、実際には図に示したように分割設計した小型 DNA (ドミノ DNA ) をつなぎ合わせて再構築する。しかもこの分割 DNA は大腸菌で用意できる範囲で試されており、比較的大きな DNA (約 100 kbp 程度) でも BAC (Bacterial artificial chromosome) と呼ばれるプラスミドベクターで準備できる。ドミノ DNA は、大腸菌を破壊して生化学的な精製ステップを経て、最終的に試験管 (マイクロチューブ) に純度の高い DNA 溶液として取り出すのが一般的である。

 大腸菌からプラスミド DNA を精製する一般的な手法とは全く別の手法を著者らは発見し、先行論文で報告した (1)。ラムダファージが溶源化した大腸菌を一定時間高温 (37?42°C) にさらすだけでラムダファージが誘導され、大腸菌は溶けて (溶菌) 死滅する。ラムダファージで内部から破壊された大腸菌では、ゲノムもプラスミドも核酸分解酵素にさらされて分解すると誰もが考えていたが、プラスミドだけは溶液中に出てくるにもかかわらず安定に存在するという驚くべき発見であった。大腸菌が溶菌して培養液中に放出されたプラスミド (細胞外核酸)、はそのまま枯草菌の通常の形質転換操作に用いることができるほど高品質であった。ラムダファージが溶源化した大腸菌にプラスミドを導入して、プラスミド DNA が必要なときには、大腸菌を2時間高温にさらして溶菌して細胞外核酸にするだけというきわめてシンプルなこの手法は、DNA を精製するための生化学試薬やマイクロチューブ、遠心機等の設備は一切不要である。しかも DNA のサイズが BAC ドミノで扱う程の大きさ (100 kbp 以上) にも十分適用できることを示した。

 このサイズの DNA は高分子の鎖であるがゆえに物理的に擦り切れ易く、純粋な DNA 溶液を得ることが難しい。従って BAC ドミノ DNA を調製すること自体が技術的なネックになっており、このステップが容易になれば、ドミノを連続して繋げて元のゲノムを再構築する手法は大幅に楽になる。本論文では、この細胞外核酸の発見をドミノ法によ るゲノム構築手法 (図) への応用へと展開させた。小さな DNA はもちろんのこと、100 kbp を超える巨大な BAC ドミノでも、大腸菌を高温に2時間さらすだけでドミノ DNA を細胞外核酸として放出させ、共存させた枯草菌に取り込ませてゲノムにまで組み込む過程を実証した。ゲノム丸ごと再構築の手法の迅速化と簡便化の可能性が示されたと考えている。


 技術的な内容に加えて、本論文はもう一つ重要な生物学的な内容を示唆している。ラムダ溶源大腸菌が高温で溶菌し保持していたプラスミド DNA が細胞外に放出され、近くにいる枯草菌に移動する現象、つまり DNA が大腸菌から枯草菌へと種を越えて移動する現象である。このような DNA (遺伝子) の移動は自然界では頻繁に見られ、遺伝子の水平伝播 (HGT: Horizontal Gene Transfer) と総括して呼ばれる。細胞外で核酸が安定に存在することは大変重要な発見であり、本手法では、大腸菌、枯草菌の培養以外の操作はしていないので、その意味では遺伝子水平伝播の一形態を実験室レベルで確立したと考えている。最近、動物細胞でも微生物でも高分子核酸 (DNA、RNA) は細 胞外で従来考えられた以上に安定に存在して機能を持つとの報告がなされ、それらは機能的な細胞外核酸 (functional extra-cellular nucleic acids) との呼称で新たな研究分野になりつつある (2)。


 このように、本論文の内容は単なる技術的な側面だけではなく、自然で頻繁に生じている微生物間での水平伝播の機構にまで言及できるほどの内容を含んでいる。この発見を突破口に、細胞外核酸を大腸菌→枯草菌への移動だけに限らず、微生物間での DNA 移動に拡張して調べる手法を示したエポック的な論文とも位置づけられる。

(1) Kaneko. S, and Itaya. M. (2010) Designed horizontal transfer of stable giant DNA released from Escherichia coli. J. Biochemistry. 147, 819-822.
(2) Kaneko. S, and Itaya. M. (2010) Stable extracellular DNA: a novel substrate for genetic engineering that mimics horizontal gene transfer in nature. Nucleic Acids and Molecular Biolog. Volume 25, 39-53.

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[ 編集:喜久田薫 ]

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