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リン酸化プロテオーム解析による抗癌剤ラパチニブの薬効評価

分子標的薬のシステムレベルでの作用機序を明らかに

Imami, K., Sugiyama, N., Imamura, H., Wakabayashi, M., Tomita, M., Taniguchi, M., Ueno, T., Toi, M. and Ishihama, Y. (2012) Temporal profiling of lapatinib-suppressed phosphorylation signals inEGFR/HER2 pathways. Mol Cell Proteomics. 12:1741-57.



  近年、日本人女性の乳がん患者は急増しており、1996年以降胃がんを抜いて女性が患うがんの第一位となっている。乳がんの原因としては、遺伝的要因に加 えて女性ホルモンエストロゲンや西洋化した食生活の影響が示唆されている。一方、創薬の観点からは乳がん患者の約25%において過剰発現している上皮増殖 因子受容体Ⅱ(EGFR2またはHER2)と呼ばれる膜タンパク質が注目されている。HER2は細胞の分化や増殖の調節に関与しており、がん化のシグナル を下流の分子に伝える司令塔のような存在である。そこで、臨床の現場では早くからトラスツズマブなどのHER2の働きを抑制する分子標的薬が使用されてき た。中でもグラクソスミスクライン社が開発し、日本でも2009年に認可された低分子化合物ラパチニブは、HER2に対する選択性が最も高いことで知られ ている。一方で、ラパチニブががん細胞のシグナル伝達ネットワーク全体にどのように作用し、がん細胞の増殖を阻害しているかは未だ分かっていない。

 HER2はタンパク質キナーゼであり、細胞膜上においてEGFRファミリーと二量体を形成する。これが起点となり、HER2の自己リン酸化が促進 され、下流へとシグナルが伝わる。ラパチニブはATPと競合的にEGFR/HER2のATP結合領域に結合し、HER2の自己リン酸化を阻害する。そこ で、今見博士らのグループは、リン酸化プロテオミクス手法を用いてラパチニブ投与後の がんシグナル伝達の抑制過程を測定することを試みた。具体的には、高選択的リン酸化ペプチド濃縮法と液体クロマトグラフィー/タンデム質量分析計を組み合 わせ、0, 1, 5, 10, 20分間ラパチニブで処理した乳がん細胞のリン酸化プロテオーム(約5,000リン酸化部位)を時系列に沿ってプロファイルした(図)。その結果、薬剤標 的分子HER2や、その下流の因子(キナーゼERK、転写因子JUNなど)のリン酸化が時間依存的に抑制される過程を捉えることができた。


  この大規模なプロテオーム解析により、今見らは二つの新たな知見を得ることに成功した。まず、既知HER2シグナル伝達経路上のタンパク質のみならず、ス プライソソームをはじめとする転写・翻訳に関わるタンパク質のネットワーク群にもラパチニブが作用することが明らかとなった。この発見は、HER2の下流 の因子を阻害することにより、がんの増殖が抑制できることを示唆している。実際に、最近理研‐アステラス製薬とエーザイがスプライソソームを標的とする抗 がん活性を有する天然化合物を同定している(下記文献)。 次に、ラパチニブ処理によってHER2のある特定領域のリン酸化が亢進し、HER2のキナーゼ 活性を制御していることを発見した。さらに、今見らはリン酸化のモチーフ解析や試験管内でのキナーゼアッセイを組み合わせることで、タンパク質キナーゼ A(PKA)がこのHER2のリン酸化を制御している因子の一つであることを明らかにした。


 本研究で、今見らは抗がん剤の一つで あるラパチニブの作用機序をプロテオーム手法により解明することに成功した。今後、今見らは臨床検体のHER2のリン酸化状態と予後の関連性を調べ、本研 究で同定したHER2リン酸化の新たな役割を探っていく。今後もこのようなアプローチが分子標的薬のシステムレベルでの作用機序・副作用の理解に繋がるこ とに大いに期待したい。

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図: ラパチニブ投与後のがんシグナル伝達抑制過程
 0, 1, 5, 10, 20分間ラパチニブで処理した乳がん細胞のリン酸化プロテオーム(約5,000リン酸化部位)をプロファイルした結果、 薬剤標的分子EGFRやその下流 の因子(キナーゼERK、転写因子JUNなど)のリン酸化が時間依存的に抑制されることが示された。

[ 編集: 川崎翠 ]

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