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フィールドの生物を対象としたトランスクリプトーム解析のフィージビリティスタディ

高い再現性を保つ条件を、解析の全工程において検討

Kono, N., Nakamura, H., Ito, Y., Tomita, M. and Arakawa, K. (2016) Evaluation of the impact of RNA preservation methods of spiders for de novo transcriptome assembly. Mol Ecol Resour. 16:662-72

「生物の実験」というと、どのような生物を使うことを想像するだろうか?マウス、ショウジョウバエ、大腸菌。これまで、ゲノム解読や、遺伝子発現量やタンパクの解析などの分子生物学的手法の対象となるのは基本的に実験室で管理、育成された生物たちだった。しかしながら、ハイスループットな解析手法が広がりつつある今日、研究者たちが解析対象とする生物は実験室の外へにもその意識が向けられ 、フィールドワークで採取された生物についてもモデル生物と同等に網羅的かつ定量的な分子レベルの解析が進められはじめている。

慶應義塾大学 先端生命科学研究所の河野暢明特任助教らは現在、クモ糸の実用化に向けた研究に取り組んでいる。クモ糸の生成メカニズムを調べるにあたって、どのような遺伝子が発現しているのかは重要な情報であるにも関わらず、これまでクモを対象として各遺伝子の発現量を大規模に測定・定量するトランスクリプトーム解析の報告は少ない。トランスクリプトーム解析には、サンプルの保存と破砕、核酸の抽出、大規模データの解析などといった様々なステップが存在する。これらの個別の作業についての条件検討は過去にも行われてきたが、サンプリングから解析まで連続して検討した研究は未だになされておらず、各研究室で共通した解析手順は確立されていない。そこで、河野氏らはフィールドワークによってサンプリングした51匹のオオヒメグモを対象に、高い再現性を持つトランスクリプトーム解析を行うための条件検討を、サンプルの保存法から核酸抽出法、シーケンス法、そして解析法に至るまでの一連のプロセスについて行った。

まず、サンプル間の遺伝子発現状態に大きく影響を与えうる要素として、サンプルの保存方法が考えられた。そのため、サンプルの保存方法として様々な「溶媒」、「温度」、そしてサンプルの「破砕状態」によって遺伝子発現が変化するかを検討した。その結果、まず「溶媒」やサンプルの「破砕状態」は特に結果に影響を与えなかったが、保存「温度」は4℃を境に有意な変化が見られた。

次に、遺伝子発現の変動を検討する際にはその変動が自然のものであるか、実験誤差であるかを判断する必要がある。この判断に大きく影響を与えうる要素として、シーケンス量(一度に測定する配列情報の量)が考えられた。シーケンス量として発現変動解析などに最低限必要なリード(シーケンサーが読み込むDNA断片)の数について検討を行った結果、おおよそ3000万リードあれば、非モデル生物においてもde novo遺伝子発現解析を行う上で十分であることがわかった。以上のことから、フィールドからクモをサンプリングし保存期間が2週間の場合、「4℃」以下の溶媒で「30Mリード」以上シーケンスすることで、高い再現性が担保されたトランスクリプトーム解析が可能であることを結論づけた。これはクモ類のフィールドワークにおける必要最小限の条件を示した初の結果である。

「今後、クモ糸の実用化に向けたプロジェクトの中では世界中からサンプリングしてきたクモのトランスクリプトーム解析を行っていく予定です。この論文で検討した条件は、少なくとも本プロジェクトにおいて大いに役立つと思います。」だが、この成果に対する希望はそれだけに留まらない。今後増え続けるであろう非古典的モデル生物へのハイスループット手法の適用も視野にはいっている。「世界中の研究者に、もちろんクモ以外の生物に対してもこの条件を参考にしていただき、役に立つことができればと思っている」と河野氏は語った。


図:サンプル保存条件毎のRNA品質及び発現変動

上段から順に抽出したtotal RNAを泳動した図、サンプル保存条件、RNA品質の定量値、そして下段に発現変動を表している。室温で保存したサンプルはほぼ全て、RNA品質が低下(RIN値 < 7.0)し、20%程度の遺伝子が発現変動しているのに対して、低温保存したサンプルは高い品質が保証され、サンプル間の発現変動が最少に押さえられていた。

[編集:川本夏鈴]

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