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クマムシの乾眠誘導を制御するメカニズム

大規模リン酸化プロテオーム解析によってAMPKの関与が明らかに

Kondo K., Mori M., Tomita M., Arakawa K. (2019) AMPK activity is required for the induction of anhydrobiosis in a tardigrade Hypsibius exemplaris, and its potential up-regulator is PP2A. Genes to Cells, 2019 Oct 14. doi: 10.1111/gtc.12726.

体長1mmにも満たない微小な水生無脊椎動物であるクマムシは、土壌の間隙水や苔表面の水滴中などの身近な場所に生息する生物で、周辺環境の乾燥に伴い脱水することが知られている。この脱水により、クマムシは自身の代謝を測定限界以下にまで低下させた「乾眠」状態へと移行し、乾燥環境に耐えることができる。さらに、乾眠状態のクマムシは吸水によって代謝を再開させることができ、クマムシは自然環境下において活動状態と乾眠状態の行き来を繰り返しながら生活している (1)。クマムシの乾眠に関与する分子についてはこれまで世界中で研究されているが、そのほとんどは生体分子を乾燥ストレスから保護するメカニズムの解析に集中しており、それらの保護分子の発現がどのように調節されているか、といった乾眠制御メカニズムの研究は進んでいない。

そこで先端生命科学研究所の近藤小雪特別研究員 (当時) らは、クマムシの乾眠制御メカニズムを明らかにすることを目指し、乾眠能力を持ち飼育系も確立されているクマムシであるHypsibius exemplarisを用いて、乾燥ストレス応答に関与するシグナル伝達分子/経路を探索した。本研究で用いたH. exemplarisの特徴として、急速な脱水が生じる低湿度環境へ直接曝露すると乾眠状態へと移行できず干からびて死んでしまう点が挙げられる。一方で、脱水速度の緩やかな高湿度環境に数時間以上曝露する "プレコンディショニング" を経れば、低湿度環境の厳しい乾燥にも耐えられるようになることから、H. exemplarisはプレコンディショニング中に低湿度曝露に対する耐性を誘導する乾眠誘導機構を持っていると考えられた。この乾眠誘導では、脱リン酸化酵素であるProtein Phosphatase 1 (PP1) およびProtein Phosphatase 2A (PP2A)の活性が必要であることがこれまでの研究で明らかになっていた。このPP1/PP2Aは様々な真核生物に存在する非常に一般的な脱リン酸化酵素で、これらのタンパク質が関与していることから、H. exemplarisの乾眠誘導にはリン酸化シグナリングが重要な役割を果たしていることが予想された。そこで近藤研究員は、乾眠誘導中に起こるリン酸化イベントを網羅的に明らかにするために、乾燥処理前後のH. exemplarisのタンパク質について、そのリン酸化レベルを解析した。その結果、高湿度曝露によってリン酸化レベルが変化したタンパク質が48種あり、その中にはAMP-activated protein kinase (AMPK) シグナリング経路に関わる酵素 (AMPK及び糖代謝に関わる酵素) が4種含まれていることが明らかになった。このことから、H. exemplarisの乾眠にはリン酸化酵素であるAMPKが重要な役割を果たしていることが示唆された。そこでAMPKの活性が乾眠に必要であるかを調べるため、H. exemplaris を事前にAMPK阻害剤溶液に浸漬したうえで乾眠させ、吸水後の回復率を測定した。その結果、阻害剤溶液に浸漬したH. exemplarisの回復率は顕著に低下した。つまり、H. exemplarisの乾眠にはAMPKの活性が必要であることが初めて示されたのである。哺乳類などの他生物におけるストレス応答ではPP2AがAMPKを脱リン酸化することで活性を制御することが知られている。そこで近藤研究員はH. exemplarisの乾燥応答においてもPP2AがAMPKを脱リン酸化している可能性を考え、それを検証するための実験を行った。PP1/PP2A阻害剤へ浸漬した後に高湿度曝露を行ったH. exemplarisのタンパク質のリン酸化レベルを測定したところ、通常は観察されていたAMPKのリン酸化レベルの低下が消失した。このことから、クマムシの乾燥ストレス応答でもAMPKはPP2Aにより脱リン酸化されており、PP1/PP2A-AMPK経路によって乾眠誘導が制御されていることが予想された。

近藤研究員は本研究の成果について「H. exemplarisに限らず、クマムシのリン酸化プロテオミクスはほぼ前例がなく、必要な匹数やサンプル処理方法など実験条件の検討には非常に苦労しました。また、測定では数千匹のクマムシが必要だったので、その準備は大変でした。しかし、PP1/PP2A阻害剤処理をしたクマムシのリン酸化プロテオミクスでAMPKのリン酸化レベルの低下が消失する、という新奇性の高い結果を得られたときはとても驚いたと同時に嬉しかったです。」と述べた。また、今後の展望についても「クマムシの乾眠誘導システムを担う分子の実体は徐々に知見が得られていますが、それらが乾眠誘導に本当に必要かどうかはほとんど明らかになっておらず、乾燥ストレスを感知する仕組みも不明です。ネットワークとしての乾眠誘導システムの理解に向け、今後はこれらの課題を解決していきたいです。」と語った。

スクリーンショット 2020-04-18 21.51.33.png図:乾眠能力をもつクマムシ (Hypsibius exemplaris)

[編集:河野夏鈴]

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