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公開情報を用いた遺伝子転写制御ネットワークの再構築

統合失調症患者由来の神経系細胞における脂質代謝に着目

Okamoto L, Watanabe S, Deno S, Nie X, Maruyama J, Tomita M, Hatano A, Yugi K, "Meta-analysis of transcriptional regulatory networks for lipid metabolism in neural cells from schizophrenia patients based on an open-source intelligence approach", Neuroscience Research, (2022).

DOI: 10.1016/j.neures.2021.12.006.

 精神疾患の一つである統合失調症は、神経機能障害、炎症反応、脂質代謝異常などさまざまな症状を呈することが知られている。また、一卵性双生児間の一致率が高く遺伝率は80%と推定されていることから、その発症には遺伝的要因が大きく関わっていると考えられている。(Imamura et al, 2020; Sullivan et al, 2003)近年、精神医学ゲノムコンソーシアムの統合失調症ワーキンググループが実施した大規模ゲノムワイド関連研究により統合失調症の発症に関連する100個以上の一塩基変異 (以降、SNPs)との関連も示唆されている。(Ripke et al.、2014年)これらのSNPsはヒトゲノム上の様々な場所に存在し、多数の遺伝子の発現と関連していることから、統合失調症は多因子疾患であると報告されている。統合失調症における転写制御ネットワークについてはこれまでも多くの報告があるが、これらの研究の多くは特定の転写因子や単一のデータセットに基づくものであり、統合失調症の多様な病因や根底にある共通の特徴を理解するには不十分なアプローチであった。

 そこで、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 修士課程1年(当時)岡本理沙氏、同大学 環境情報学部4年(当時)渡部素世香氏、そして同大学院 政策・メディア研究科 修士課程1年(当時)出野泉花氏らは、公開されているゲノムデータおよびトランスクリプトームデータ、公刊文献情報などを組み合わせたメタ解析を実施した。まず、統合失調症患者の神経細胞の公開トランスクリプトームデータセット15件を用いて、統合失調症患者特異的に変動している脂質代謝関連遺伝子とその転写因子から成る転写制御ネットワークを再構築した(図a)。統合失調症関連SNPのうち一部がエンハンサー上に存在し、その中で特に脳で活性化するエンハンサー上のSNPが多いことが知られていることから、エンハンサー依存的な制御を含むネットワークを再構築したところ、全エッジ数(7,577ペア)の53.3%がエンハンサーによる制御であることが判明した。次に、転写制御ネットワークを構成する遺伝子の発現量に影響するSNPsをリストアップし、当該SNPと関連することがわかっている疾患・形質にどのような特徴があるか統計的に解析した。その結果、本研究で再構築した転写制御ネットワークに紐付くSNPsには、統合失調症などの精神疾患のみならず免疫や炎症に関連する疾患・形質のほか、血球系細胞の数、皮膚、目などと関連するものが多く含まれていることが明らかになった(図b)。これらの結果から今後、統合失調症患者からサンプルを収集する際には、トランスクリプトームに加えて、遺伝子型、併存疾患、血液細胞数に関する情報を含めることで、より詳細な遺伝的層別化と統合失調症のメカニズム解明を目指すことが提案された。

 本研究により、脂質代謝酵素を制御する転写制御ネットワークが複数のデータセットに共通して出現していたことを考慮すると、今後はリピドーム(脂質の総体)など他のオミクスデータと組み合わせた手法の開発などにより、統合失調症と脂質代謝の間をつなぐ分子基盤の更なる手掛かりが得られる可能性がある。岡本氏は「もしこの傾向が生命科学にもあてはまるのであれば、公共データベース等の公開情報を用いた予測や仮説生成により、必要となる実験の対象を絞り込むことが可能となる。生命科学におけるOSINT(Open Source Intelligence)的な予測・仮説生成手法の発達は、実験的検証の方向性を意思決定する際により良い判断材料(=インテリジェンス)を与え、生物学的発見のサイクルを加速することが期待される。」と展望している。

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図: 得られた転写制御ネットワークと疾患の特徴

a 理化学研究所プレスリリースより(https://www.riken.jp/press/2022/20220322_1/index.html)。

合計3個以上のトランスクリプトームデータセットに登場するエッジから成る転写制御ネットワークを表す。図中の矢印は、始点が制御する側の因子(原因)、終点が制御される側の因子(結果)であることを示す。複数の転写因子を囲む枠は、枠内の転写因子群全てに対して枠外から同じ入出力エッジが介在することを示す。b 転写制御ネットワークと紐付いたSNPに関連する疾患・形質の特徴を示す。横軸:再構築したDRNs(Differentially Regulated Network)の転写制御ネットワークとの関連が示唆された疾患・形質名、縦軸:統合失調症と当該疾患・形質の両方を扱った論文の数。グラフの下側にプロットされた赤枠内の疾患・形質は、論文数が比較的少ないことを意味するため、統合失調症と絡めた研究がまだ進んでいないことを示す。上側にプロットされた青枠内の疾患・形質は、多数のトランスクリプトームデータセットに共通して有意に多く現れることを意味するため、転写制御ネットワークの一部を統合失調症のそれと共用している可能性がある。

[編集: 安在麻貴子]

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