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森田 鉄兵特任講師

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─現在の研究テーマについて教えて下さい。

 生物の生息環境に応じた遺伝子発現の変化や、その変化をもたらす制御の仕組みの研究に取り組んでいます。このような遺伝子発現の変化によって生息域の幅が広がり、生物は多少の環境変化に屈することなく生存することが可能になります。この中で、私は、遺伝子発現の制御機能を有する小さなRNA(small RNA, 以降sRNA)に注目しています。sRNAは様々な生物で発見されており、sRNAによる遺伝子発現制御は重要な生命反応であると考えられています。

 ゲノムDNAには、生物固有の遺伝情報がA、G、C、Tという4文字の配列で記載(コード)されています。そして、この配列の中には遺伝子と呼ばれる場所が存在します。遺伝子の場所では、DNAは自身の配列情報を元に、転写、翻訳という2つの反応により、タンパク質やRNAといった「形」を持った機能分子として発現(遺伝子発現)します。重要なことは、この遺伝子発現がゲノムDNAにコードされている全ての遺伝子で一様に起きるのではなく、生息環境に応じて必要な遺伝子のみが発現するということです。このような環境に応じた遺伝子発現の変化は、転写、翻訳といった反応の各段階に備わる"オン・オフスイッチ"により制御されています。私は、学生当時、スイッチにより制御される遺伝子発現の流れの様子が "ピタゴラ装置"のように感じられ、遺伝子発現の制御の仕組みに興味を持ちました。色々な形をしたものが次から次へとあの手この手で動き(情報)を繋げていく様子は見ていて本当にワクワクします。また、遺伝子発現の制御やそのスイッチとして機能するsRNAが、微生物では感染症の流行やバイオフィルムの形成など、我々の暮らしに直結するような現象においても重要な役目を果たすという点も、研究のモチベーションになっています。そのスイッチの仕組みを明らかにできれば、こういった問題の解決の糸口になることが期待できるからです。現在は、大腸菌をモデル微生物として用いて、スイッチの役割を担うsRNA自体がどのように発現するのか、またsRNAはスイッチとしてどのような形をしているのかについて研究しています。


─大腸菌をモデル生物とされているのですね。

photo1.png はい。実は、遺伝子発現制御の仕組みに関する研究は、大腸菌から始まりました。ラクトース(乳糖)に富む環境におかれた大腸菌では、ラクトースの資化に必要な遺伝子群の発現が誘導されます。Jacob博士とMonod博士は、この遺伝子群が発現誘導される仕組みに関する論文を1961年に発表しました。因みに、これらの成果が評価され、彼らは後にノーベル医学生理学賞を受賞しました。私が現在行っている研究も、遡っていくと彼らの研究にたどり着きます。大腸菌での研究の利点は、このように蓄積された多くの知見や、その過程で確立された実験手法や材料です。私は、DNA組換えによる遺伝子変異株を用いた遺伝学的解析や、RNAやタンパク質を調べる生化学実験により、sRNA研究を進めています。また、慶應義塾大学先端生命科学研究所(以降IAB)が得意とするマルチオミクスの解析手法を取り入れ、生物という1つのシステムの駆動にsRNAがどう関与しているのか?といった全貌の解明にも挑戦していきたいです。


─IABはどのようにして知ったのですか。

大学院学生時に、ある学会で冨田勝さん(IAB所長)の講演を聴いたのが、IABとの最初の出会いです。E-Cellプロジェクトに関する講演だったと思いますが、その先進性は学生であった私にも理解できるものでした。また同時期に、森浩禎さん(IAB設立当初に微生物工学の教授として在籍、現 広東省農業科学院)と出会ったことも、IABを深く知ったきっかけです。当時、森さんは、CREST(戦略的創造研究推進事業)で、大腸菌の全4288遺伝子それぞれの変異株を全て作製するという"Keioコレクション"プロジェクトに着手したところでした。研究会でこのプロジェクトの講演を聴いたときには、その壮大さに圧倒されました。さらに、大学院学生時から毎年参加している日本RNA学会年会では、金井昭夫さん(IAB教授)と出会いました。金井さんは、大腸菌に潜む未知の機能性RNAをディープシークエンス法により見つけ出すことに挑戦していました。これは、今でこそ普及しているアプローチですが、当時ではかなり先駆的なものでした。この3名のIAB研究者との出会いは特に印象深いものであり、また研究会などで出会う一味違った研究を展開されている方々がIAB所属であったりして、IABには個性的な研究者の方々が集まっているという認識でした。因みに、金井さんとは、sRNA研究を進めていた私たちと興味が合致し、ディスカッションの機会を多く持つことができました。その中で親交を深められたことが、IABに着任するきっかけになったと思います。


─研究のポリシーは何ですか。

photo2.jpeg 自分自身で納得するところまでとことん実験するということでしょうか。この点は、研究のモチベーションにもなっています。分からなかった現象に関わるスイッチの仕組みが理解できたときは、とても嬉しい瞬間です。このような、"目の前にある分からないことを明らかにしていく探究心"は常に持ち続けたいと思っています。


─誰も知らなかったことを知っていくのが魅力なのですね。

そうですね。これは、理学部出身であることが原因かもしれません。色々な先行研究や手持ちのデータを並べて思い付いた新たなアイデアを検証する実験を組み立て、その実験結果をみる瞬間は、たとえそのアイデアとは反する結果であったとしても、「自分がその答えを世界で初めて知る」という体験です。私にとって、この体験こそが研究のもっとも魅力的な点です。また、こうして問いを追求していく中で明らかになったことは、バイオテクノロジーの種となり、社会に貢献するものへとつながっていきます。IABでは様々なベンチャー企業が立ち上がっていますよね。それらの発端にも、何かの問いから生じた基礎研究があるはずです。IABには、こうした基礎からベンチャーへとつながる土壌が育まれているという魅力があります。


─影響を受けた人や出来事はありますか。

特に二人の研究者から強く影響を受けていると思います。一人目は、大学学部4年次からの指導教授であった饗場弘二さん(現:名古屋大学 名誉教授)です。饗場さんは、厳しい反面、常に私の意見を確認しフェアに接してくれました。こういった日常のコミュニケーションの大切さも、教わったことの1つです。もう一人は、アメリカ国立衛生研究所(以降、NIH)のSusan Gottesman博士です。Susanと直接話す機会を持ったのは、大学院学生時に参加したコールド・スプリング・ハーバー研究所(米)で開催されたバクテリア&ファージミーティングでした。当時、Susanらのグループと饗場研究室では、それぞれ独立して、代謝状況に応じたグルコース取り込み遺伝子の発現制御に関する研究を行っていました。言わば競合相手です。しかし、ミーティングでは、Susanはわざわざ時間を割いてマンツーマンでディスカッションをしてくれました。私にとって初めての国際的研究者とのやりとりでありとても緊張していましたが、Susanはこちらの言いたいことを我慢強く聞き出してくれて、とにかくとても感動的な時間でした。2018年には、科研費の国際共同研究強化の支援のもと、約半年間ではありますが、Susanの研究室で研究を進めることもできました。Susanとの日頃のディスカッションやNIHへの留学の経験により、私の視野はずいぶん広がったと思います。


─鶴岡で研究をする意義は何でしょうか。

photo3.jpeg 意義というと難しいですが、IABは研究環境としてとても充実していると感じます。IAB以前には2つの大学に所属していましたが、やはり教育に関する職務が多かったです。大学には教育機関としての側面も重要で、また教育業務を通して学生たちと学びを共有できることはとても刺激になります。一方で、何かに集中して作業をするとなると、難しい部分もありました。IABでも学生実習や会議などはありますが、それらに割かれる時間は比較的少なく、とにかく研究に集中できる環境だと実感しています。

また、IABに来て、鶴岡という街が好きになりました。これまで私は、愛知県名古屋市と、アメリカのベゼスタという街に住んだ経験があります。この2つと比較して、鶴岡の良さを挙げれば、まず、特に夏の夜が涼しいということです。名古屋から来た身としては、夏の暑さは切実な問題です。次に、季節ごとの旬の食べ物が本当に美味しい。そして、家と職場の行き来で山が見えるのもとても気に入っています。山が見える日常がどんなにも良いものなのかを古くからの友人たちに熱く語ってしまいました。


─最後に今後の展望をお聞かせください。

 第一に、NIHで新たにはじめたsRNAの発現に関する研究を、原著論文として発表する準備を進めています。また、マルチオミクスを取り入れたsRNA研究を併せて進めて行きたいと考えています。さらに最近になって、金井さんらのグループは、文部科学省による英知事業(令和元年度)において、福島第一原子力発電所の建屋内の汚染水から抽出した環境DNAのメタゲノム解析を行ない、汚染水に生息する微生物群集の存在をはじめて明らかにしました。私は、この非常な極限環境で生息する微生物に興味が湧き、このような環境での生息を可能とする微生物の仕組みの解明にも挑戦したいと考えています。これには、これまで培ってきた環境に応じた遺伝子発現制御の研究が活かせるはずです。この研究を通して、例えば放射線環境下で水を浄化できる微生物技術につなげられるかもしれません。このような取り組みを足がかりにして、環境微生物を対象とした基礎的な研究基盤を整え、地域と連携した応用研究につなげられればと思っています。

─ありがとうございました。

(2021年6月24日 インタビューア:安在 麻貴子   写真:石川 創良)

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